『かなり』

干支に入れてよ猫

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おやごころ

どうも、坂津です。

『うちの子は天才なんじゃなかろうか?いやマジでマジで』

息子が生まれるまで、周囲の子持ちさんが口にするこの言葉に対し、私は内心で(ああ、みんな同じコト思うんだなぁ。うふふ)と微笑んでおりました。

が、いざ自分が人の子の親になってみると、分かり過ぎるほど分かってしまうのです。

うちの子が一番可愛いし賢いし秀でてるし抜きん出てるし尊いんです。

それは紛れも無い事実なんです。

 

私たちは、程度の差はあれ誰しもが俯瞰でモノを見て考えることができます。

そうしたとき『うちの子が一番』という自分の中の事実は急速に力を失い、脆弱で希薄な幻想なのだと自分に言い聞かせてしまうことがあります。

一般的な見解としての『みんなそう思ってる』という意識が、自身の中に構築されていた『うちの子が一番』という事実を矮小化してしまうのです。

自分の価値観と、『現実的には』とか『親バカだ』とかいうそこらに転がってる価値観を照らし合わせ、なぜか自分の判断基準を貶めてしまいがちです。

 

いつからでしょうか。

間違うことを恐れて発言しなくなったり、失敗することを恐れて行動しなくなったり。

でもよく考えてください。

その間違い、失敗に、どれだけのデメリットがあるのでしょうか。

何回転んでも笑顔で立ち上がって歩き出す息子を見ていて、そんなことを思いました。

壁に頭をぶつけて泣く。

地面で顔を打って泣く。

それでも数秒後には立ち上がって元気に歩く。

そんな息子に対して私がしなければならないのは、転ばないように支えることではなく、立ち上がれないような転び方をしたときのフォローなんじゃないかと思うのです。

 

私は私の息子が世紀の大天才であり絶世の美男子であり才能の塊であると思っています。

私は『身の丈に合った』『地に足を付けて』『現実を見据えて』なんて言葉を言い訳にして、息子の価値を落としたくありません。

この『私が息子に見出した価値』を、私自身が否定しないことが最も重要なのです。

ただ間違ってはいけないのが、これは息子に対する『期待』では無いということ。

変に期待して行動を強要して息子の可能性を矯正したくはありません。

勉強や習い事なんかも、息子が興味を持てばやらせるし、嫌だったらやめれば良いのです。

私がすべきことは『いま息子に対して抱いているこの感情を持ち続けること』なのだと思います。

そしてこの先の未来でもずっと、いまこのときの価値観に基づく判断基準で選択ができる親でありたいと思っています。

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