どうも、坂津です。
世の中には『苦労をした=尊い』という間違った方程式を信仰し尊重している人が一定数いらっしゃいます。
本来であれば『苦労という経験を得てレベルアップした=尊い』であるはずなのに、なぜか重要な部分がスッポリと抜け落ちてしまっているのです。
苦労をしたら自動的にレベルアップするかのような迷信を地盤にした考え方に陥ってしまっているのでしょう。
そこには自分に対し『苦労に見合う対価が支払われて当然』という錯覚というか妄想というか思い込みが介在しており、その影響で『これだけ頑張ったんだから報われるよね』という根拠の無い幻想を抱いてしまうのです。
しかし、これは逆。
まったくの逆なのです。
苦労を水の泡にしないために『この経験をレベルアップの糧にできるよう工夫する』んです。
頑張りが報われるために『努力した分が無駄にならないよう頭を使う』んです。
単純な苦労や努力がそのまま経験値として昇華され、まるでゲームのようにレベルアップしてスキルアップして自身が有能になってゆく・・・なんてことはありません。
年配の方々がよく『今は便利で良いよなぁ、昔は・・・』などと、やたら工数が多い仕事をしていた非効率時代の自慢をしてきます。
その方々が今、そのときの経験を活かしてバリバリ活躍されているのならば私は何も言いません。
しかし、現状で効率良く仕事をしている若者に向かって、過去自分がいかに恵まれない環境で頑張っていたかを説き、なおかつそっちの方が尊いみたいな言い方をするのってどうなの?
「今はパソコンの画面でポポポンって打ってカチッと送信したら終わりだろ?俺らなんかさ、伝票を手書きで何枚も書いて電卓叩いてさ。俺たちがそういう苦労をしてきたから、今の便利な時代があるんだぞ?感謝しろよ?お前らももっと苦労しろ?」
違います。
我々が文明の利器におけるご利益を享受できているのは決してあなたのお陰ではなく『あなたと同じ経験をして、それが不便だと感じ、効率化するために試行錯誤した誰か』のお陰です。
漫然と目の前の仕事を手数と根性だけで処理してきたあなたのお陰では、決してありません。
もちろんその努力と根性で仕事をこなしてきた経験を、あなたが活かしているのであれば、私もそれを尊重して忠言に耳を傾ける気が起きるかもしれません。
しかし、これから新たに導入するシステムの使い方をまるで覚えようとしないその態度はいかがなものでしょう?
あなたのお得意な『努力』『苦労』『根性』で覚えたらどうですか?
今の仕組み、やり方に特に不便さを感じていないから、新システム導入で得られる画期的な利便性に重要さを感じていないのでしょうが、むしろ現状に不便さを感じていない鈍感さの方が問題なのではないですか?
過去の苦労が悪い方向に働いてしまっている典型だと、私は思います。
不便さに慣れ、革新を忘れ、ただやみくもに『頑張る』ことしかできないのは、むしろ思考の放棄であり責任からの逃避でしょう。
って言いたい。
会議で。
めっちゃ言いたい。