どうも、坂津です。
ショッキングなニュースに事欠かないここ最近、画面の向こう側にある刺激的な情報でお腹がいっぱいになりますよね。
そしてふと現実に戻ってみれば、いつの間にか山積している課題の巨影に怯える現実が待っているのです。
私たちはテレビで、パソコンで、スマホで、新聞で、週刊誌で、様々な情報を摂取し、アレコレ思考を巡らせ、感想を持ちます。
しかしそれらの意見や主張が現実的に何か効力を発揮することは非常に稀であり、SNSなどを利用して垂れ流すに留まるのが精々です。
そこでまた現実に戻ります。
世間で起こっている出来事、不祥事、事件を、情報としては得るけれども、そこに果たしてどれほどの現実味があるでしょう。
大半の人はそれらのニュースと無関係な生活をし、無関係な仕事をし、無関係な会話を交わし、無関係な現実を生きるのです。
画面越しに得る情報の衝撃が大きければ大きいほど現実との乖離は甚だしくなります。
しかしそれでも『あれはフィクションではなく現実だ』という認識は確実に存在し、現実味がない現実を突き付けられた状態になります。
そしてこのギャップが、心に大きな揺らぎを発生させ、不安定な精神状態を作り出すのです。
さて、しかしちょっと考えて頂きたいのですが、そもそも私たちが得ることのできる情報は、必ずと言って良いほど『誰かの考えで意図的に計画的に作為的に加工されて』います。
誰がどのように発信したものであっても、それは絶対です。
言い換えれば、私たちの周囲に存在する情報は『誰かにとっての真実』なのです。
誰かの私見、誰かの主観、誰かの持論によって加工されているのです。
しかもその加工は偽装、虚偽、詐称にならないよう巧妙に編集され『表現方法による情報伝達の揺らぎ』を最大限に利用した『真実』として完成されます。
そしてもしこの意図的な加工が看破されたときには『嘘ではないがそのような解釈も出来る言い回しになってしまったことは謝罪する』とか『自分の本意とは異なる形で伝わってしまったのが残念だが、こちらの言葉の選び方にも問題があったことは認める』とか、予め用意していた回答を並べるのです。
もちろん、極力客観に努め事実のみを報道する、ということに心血を注いでいる方もいらっしゃるでしょう。
ですが残念なことにそれはマイノリティです。
情報発信者の、特にそれを生業としている人々の大半は、ただ事実情報を伝達するのではなく、発信する情報によって民意を、大勢の風向きを、世間の風潮を、少しでも変えてやろうと狙っているのです。
つまり、メディアを通して得る情報に現実味が無いのは当たり前なのです。
だってフィルタを通ってバイアスを越して届けられた情報なんですから。
加工された情報を現実だと思って受け止めるから、心が疲れるのです。
伝達された情報に怒り、悲しみ、嘘の看破に熱を上げ、気付けば精神がすり減っている。
自分の精神状態を守るためにも、私たちが行わなければならないのは、これらの情報の中に必ず混じっている純度の高い『事実』を抽出することなのです。
何が起こったのか。
様々な雑音を削ぎ落し、ただ純粋に『出来事』だけに集中するのです。
そこに自身の考えや思いを乗せて、自分のペースで消化するのです。
そうでもしなければ処理できないほどの情報が、周囲に溢れていると思ってください。
本来なら情報とは、自身の精神を成長させるための栄養源であるべきなのです。
わざわざ食べ過ぎて疲弊することはないのです。