どうも、坂津です。
この世のすべては二択です。
「やる」か「やらない」かです。
選択肢が多いように見える局面でも、そのひとつひとつの選択肢について「やる」か「やらない」かの二択が存在します。
例えば目の前に炊き立てごはんが盛られたお茶碗があったとします。
そしてテーブルには『味つけ海苔』と『生卵と醤油』と『ふりかけ』と『お漬物』があり、それぞれに100円の値札が付いていたとします。
自分の所持金がちょうど100円だった場合、どうするでしょう?
一見すると、どれかを選ぶ四択問題のようですが、そのそれぞれに『味つけ海苔を選ぶか選ばないか』『生卵と醤油にするかしないか』という二択が発生していますよね。
さて、このように私たちの人生で起こる全ての岐路は、全てが二択なのです。
ただし、複数の二択が絡み合い、両立できないケースも多くあります。
上の例で言えば、味つけ海苔とお漬物を選ぶことは両立できません。
Aという二択の『やる』と、Bという二択の『やる』が両立できない場合、今度はAとBのどちらを選択するかという二択が発生します。
こういう状況が悩みやストレスを生むのです。
しかしよく考えてください。
例え問題が複雑に絡み合っていたとしても、所詮はすべて二択なのです。
分けて考えれば至ってシンプルです。
それを『やる』か『やらない』か。
全ては二択なのだから、その両方を天秤に掛ければ良いのです。
で、自分の心がどちらに傾くかを考えるだけ。
ただひとつ問題なのは、この天秤の精度です。
私の心の天秤はめちゃくちゃ繊細だと自負しています。
例え0.01%でも差があれば、必ず重い方に傾くのです。
しかし心の天秤が動きにくい人もよく見かけます。
45:55くらいの差ではぴくりとも動かず、どちらも選べないなどと供述する始末。
ひどい場合は30:70ぐらいの差であるにも関わらず選択できないことも。
『やる』か『やらない』かの選択ができないというのが私には理解できませんが、しかしそういう人は確かに存在しているのです。
そんな『選べない人』には、ある共通点があると私は考えています。
最初の炊き立てご飯の例を思い出してください。
その共通点とは、あの場面を『味つけ海苔』と『生卵と醤油』と『ふりかけ』と『お漬物』の中からひとつを選ぶ局面だと思い込んでいる、という点です。
つまり、自分が選べるカードを自分自身で縛ってしまっているということ。
だって『どれも選ばず白飯だけで食べるか、やっぱりどれか選ぶか』という二択や『誰かにお金を借りてふりかけとお漬物をダブルゲットするかしないか』という二択も存在しますからね。
『海苔とお漬物のハーフ&ハーフを100円で選べないかお店の人に交渉するかしないか』『通報覚悟で4種全部ぶっかけてかっこんで食い逃げするかしないか』みたいな二択もあります。
要するに『自分が選べずにいる二択』について『じゃあ両立できないか』と別の二択を探せるかどうかです。
私の好きな井之頭五郎氏も、飲食店で注文するメニューに悩んでいるとき「迷ったときは、両方頼めばいいじゃないか」という結論に辿り着きました。
この選択に対して『そんなに食べられない』とか『残したらお店に悪い』とか何やかんや『できない理由』を並べたてるのも『選べない人』の特徴です。
できない理由、やらない理由、そんなの探せば無限に見つかるものなんです。
しかもそのほとんどが保身のための予防線やつまらないプライドや無根拠な思い込みだったりします。
それらを突き破って進めるたったひとつの『それをやる理由』だけ見詰めることができれば、人生はとてもシンプルで簡単なものになるのです。
あ、念のために言っておきます。
『どれを選ぼうか迷うのが楽しい』ってこともあるじゃんと思った方もいらっしゃると思いますが、それを楽しめている時点で実は迷っていません。
『どれを選んでも構わない』とか『この選択によってどんな結果になっても受け入れる』という精神状態だからこそ選ぶのが楽しいのです。
決して『選べない状態』ではないのです。