『かなり』

ハロウィンとクリスマスの移行期

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ゲノム編集について思うこと

どうも、坂津です。

人間に対するゲノム編集が物議を醸していますね。

www3.nhk.or.jp

 

なんとなく小保方臭オボカタシューが漂っていますが、それは置いといて。

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この問題に倫理的な警鐘を鳴らす人たちが居ます。

しかし私にはゲノム編集の何が倫理に反するのか、いまいち理解できません。

まだ技術も臨床データも未成熟で不完全なため危険性や未知の副作用の可能性を払拭できない、という観点からの批判なら分かります。

ですが、倫理的にダメと言われると途端に納得できなくなるのです。

デザイナーベビーの何が非倫理的なのか。

神の領域?

いやいや、普通に人間の領域ですよ神を舐めんな、って感じです。

私の中では『化粧⇒整形手術⇒ゲノム編集』くらいの感覚です。

もうちょっと未来になれば当たり前になる技術だと思っています。

 

そもそも『ありのままを尊ぶ風潮』の影響が強過ぎるんじゃないですかね。

 

ちょっと話が逸れますけど、魚介類とか『天然』って付くだけでなんか『良品』というイメージが持たれたりします。

どこで何を食って育ったか分からない天然より、管理された安全な餌で育った養殖の方が良いって思考にならないのも、なんか腑に落ちないんですよね。

 

ありのままを重要視するあまり、人の手が入ることへの嫌悪感というか拒絶というか、マイナスな印象を持ってしまう。

でもそれって人間を特別視した奢りなんじゃないかと思います。

人間のやることだって全て包括しての『自然』ですからね。

 

また別の視点で『親が子供に与えるものの範囲』という概念があります。

デザイナーベビーとして生を受けた子供が将来、親が選択した身体的特徴を承諾するかどうかというもの。

子供にもパーソナリティがあり人権があるのだから当然そのような着眼点も出てくるのでしょうが、しかしこれも私にとっては馬鹿馬鹿しい議論。

『ゲノム編集によって親が望む特性や素質を子供に持たせることは、親の価値観によって子供の自由を制限するのと同義である』なんて当たり前のことを鬼の首を取ったように主張するでしょ?

「めっちゃ足が速い遺伝子を組み込んだから、あなたは陸上の選手になりなさい」なんて親が言うことが、それに当たるってことですよね。

馬鹿もホリデーホリデーですよ本当。

 

『生まれながらの環境で将来を固定される状況』と『生まれながらの環境と身体機能で将来を固定される状況』に大きな差があると勘違いしているんじゃないですか?

 

親が子供に色々な物を用意するのは当たり前です。

名前に始まり、衣食住はもちろんのこと躾、教育、思想をこれでもかと叩き込みます。

というか、そのつもりが有る無しに関わらず、親子ってのはそーゆーモンでしょ。

どう足掻いたって子供は親の敷いたレールから外れることはできません。

それこそ『血は争えない』ってやつです。

親に自覚が有ろうと無かろうと、子供が乗って進むだけのレールは自動的に構築されるのです。

どういうワケかそのレールから外れることを良し、乗ったままの状態を悪しとする価値観が根強いのですよね。

でも、レールの強度と子供のアイデンティティの関係って、蓋を開けてみなきゃ分からないでしょう?

どんなに強固なレールを敷いても、子供の能力がそれを上回れば軽々と越えて行ってしまうだろうし、かと言って自由を尊重するあまり脆弱なレールしか用意しなかったばかりに、か弱い子供が当て無き荒野を彷徨う結果になってしまうことだってある。

つまり、ゲノム編集で親が思う理想的な身体特徴を、将来その子供が甘受するか否かは、結局のところ『やってみなくちゃ分からない』なのです。

 

日本語もままならないうちから英会話教室に通わされ、それを糧にして好機にして武器にして、人生を有利にできるかどうかは子供次第。

音楽の愉しみも知らないうちからピアノ教室に通わされ、知識を得て技術を鍛えセンスを磨いて、それを生きる道として選ぶかは子供次第。

同様に、ゲノム編集で優れた遺伝子(だと親が思い込んでいる)を用意された子供も、それをどうするかは子供次第なんだと思うんですよ。

 

なので、赤の他人が営利目的でやるんじゃなくて、親が子供のためにっていう目的なら、認可されて良いと思うんだよなぁ、ゲノム編集。