『かなり』

干支に入れてよ猫

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愛する妻へ

どうも、坂津です。

私は日中、会社に出勤して業務に従事し、日が暮れてから帰宅します。

自宅のドアを内側から開け、次に外側から開けるまでにおよそ14時間くらいが経過しています。

ふと、思いました。

『その半日以上もの間、妻はひとりっきりで家事や買い物などをしてくれている』

そして。

『もうちょっとしたら、その家事や買い物に加え、赤ん坊の世話がメインになる』

軽く想像しただけで額に汗が滲みました。

なんて大変な生活だろうか。

ところで。

私は仕事が楽しいです。

毎日頭の痛い案件を抱え、処理しきれないほどの業務に追われ、問題も課題も山積な職場ですが、それでも改めて思うのは『仕事たのしいな』です。

つまり私は『妻が大変な思いで頑張っている間、楽しく時間を過ごしている』のです。

なんだか非常に申し訳ない気持ちになってきました。

かと言ってこれから今の仕事を辞めて在宅ワーク、なんて夢想幻想ファンタジーを追うような歳でもなく。

せめて帰宅後と休日には、育児と家事を任せてもらいたい。

そうすることで私の罪悪感を少しでも軽減させてもらいたい。

 

と、そんなことを初めて考えたわけです。

なるほど、世のお父さん方はこんな気持ちだったのか。

 

妻はよく「旦那が家事をしてくれるから助かるよ」と言ってくれます。

しかし実は、私は私の罪悪感を消し満足感を得るためだけに家事の真似事をしているに過ぎないのです。

 

「助かる」と言いつつ、妻には妻の、今まで培ってきた家事に対する美学があるのは承知しています。

様々なアイテムの置き場や作業順序など、細かなルールが積み重なって完璧なルーティンが完成しているはずです。

恐らくは育児に対しても、それは構築されるでしょう。

きっと私がどんなに見様見真似で模倣したところで、妻のお眼鏡に適うことはありません。

どこかしら不安があり、何かしら違和感があり、そこはかとなく不満に思うでしょう。

私はその不足を認め、精進することはやぶさかではありません。

妻から「ふむ、悪くない」というお褒めの言葉を頂けるよう、邁進まいしんする所存です。

 

私がこんな風に考えることが出来るのは、妻の価値観やものの考え方に依るところが大きいと思っています。

 

妻は私に「どうして出来ないの」「前も言ったよね」「ちょっと考えたら分かるでしょ」などの禁句を一切言いません。

 

「どうやったら出来るようになるか、一緒に考えようね」

「前も言ったかもしれないけど、もう一回確認しとくね」

「気付きにくいかもしれないけど実はこうだったんだよ」

 

私の人格と尊厳を守りつつ軌道修正してくれるので、素直にその指摘を受け入れ、改善のための努力をしようと心から思えるのです。

 

このように考えてみると、どうも私は妻に依存しっ放しであるように思えます。

甘え、頼り、任せ、頼りにしまくっています。

でも、それで良いんじゃないかと、開き直ってみました。

私には妻が必要で、不可欠で、根幹なのです。

 

だから、もう許してくれないか。

冷凍庫のアイス、最後の1個だったなんて知らなかったんだよ。