どうも、坂津です。
小学生の頃にキエリクロボタンインコを飼っていました。
こんな色合いの子。
名前は『おりんちゃん』でした。
おりんちゃんは我が家に来た当初、気性が荒くてとても鳥カゴから出して遊ばせることができるような子ではありませんでした。
咬まれて指に穴があいたことも数度ではありません。
しかし徐々に坂津家に慣れ、カゴに突っ込んだ手に乗ってくれるようになりました。
そこでそろそろ家の中を飛び回る自由を与えても良かろうと考えた人間の驕りをあざ笑うかのように、おりんちゃんは自由を謳歌しました。
どんなに呼んでも来ないし捕まえられないしカゴにも帰らないし、私たちは途方に暮れました。
しかし。
当時まだ小学1年生だった私の妹が、円形の卓上スタンドミラーを持ってきてこう言ったのです。
「おりんちゃんはね、鏡が大好きだからね、これで呼べるよ。おりんちゃーん」
私と両親が「そんなバカな」と思ったその矢先。
なんとおりんちゃんが妹に向かって羽ばたき、一直線に飛んで行ったのです。
そして上を向けた鏡面に着陸したではありませんか。
そのまま妹はスッとおりんちゃんを優しく包み、鳥カゴに入れたのです。
ちなみに鏡はこんな形状。
これは大発見とばかりに再度おりんちゃんをカゴから解き放ち、今度は母が鏡を持って呼びました。
「おりんちゃん」
「・・・」
完全なる無視。
おりんちゃん微動だにせず。
次に父が挑戦です。
「おりんちゅわん?」
「・・・あ゛?」
微妙に不機嫌な鳴き声。
寄って来る気配は微塵も無し。
そして私が挑戦しました。
「おりんちゃーん!」
バサバサバサバサッ!!
カーテンレールからエアコン上に移動しただけでした。
こちらに来る気は無いようです。
最後に妹がもう一度呼んでみます。
「おりーんちゃーん」
「ピィヨ♪」
おりんちゃんは妹が持つ鏡へ真っ直ぐ帰宅。
無事に鳥カゴへと返されたのでした。
このときから妹は我が家で『鳥使い』の異名を冠されるようになり、おりんちゃんの家中散歩(散飛?)は妹が在宅時にのみ可能な行事となりました。
そんなある日のこと。
鳥カゴ内の清掃をするためには、おりんちゃんには外出してもらわなければなりません。
母が妹を呼び、鏡を持って待機させつつハウスクリーニングに勤しんでいたときのこと。
部屋の中を飛び回ったって良い状況なのに、妹が持つ鏡に乗ってご機嫌なおりんちゃん。
しかし、ふとした拍子におりんちゃんの表情が一変しました(本当はしていません)。
リビングの壁面にある小窓に振り返るおりんちゃん。
そしてその方向へ飛び立ったのです。
いつもなら閉め切られている小窓は、換気のためなのか何なのか、その時は開いていたのでした。
水を得た魚のように意気揚々と大空にはばたいたおりんちゃん。
慌てて庭に駆け出した私たち。
おりんちゃんは電線のスズメたちと混じって仲良くしていました。
妹が鏡を持って叫びます。
「おりんちゃん!おりんちゃーん!!」
バサバサバサバサッ・・・
帰ってきました。
母も私も「ウソだろ?」と我が目を疑う気持ちでしたが、妹はニッコニコで喜んでいました。
この件のあと、おりんちゃんの羽根を切ろうかどうしようかと両親は話し合ったのですが、妹が強く反対し、クリッピングは廃案となりました。
それがいけなかったのです。
その後も何度か迂闊を繰り返した坂津家。
でもそのたびに妹がおりんちゃんを呼び戻すことが続きました。
見えないほど遠くまで飛んで行ってしまっても、最終的には妹が持つ鏡に帰って来るのです。
だからこそ、油断してしまったんだと思います。
おりんちゃんが我が家に来て6年が経った頃。
またしてもまんまと外出を果たしたおりんちゃんと、それを追って外に出るのは中学生になった妹。
しかしその日はどんなに呼び掛けても、おりんちゃんは帰ってきません。
少し距離のある電線にとまったまま、じっと妹を見詰めるおりんちゃん。
「おりんちゃん?」
今までならこちらに向かって飛んでくるはすのおりんちゃんが、その時は全くの逆方向へ飛び去ってしまったのです。
隣家の屋根を超え、姿が見えなくなってしまったおりんちゃん。
妹の呼び掛けは暗くなるまで続きました。
結局そのまま、おりんちゃんは行方不明になってしまったのです。
キエリクロボタンインコの寿命は約10年と言われています。
おりんちゃんは確か3歳くらいで坂津家にやってきました。
それから6年ですから、9歳になっていたハズです。
両親は『死に際を見せたくなかったんだよ』的なことを言って妹を慰めていました。
そんな猫みたいなことがインコにもあるのか謎ですが、私もそうだったんだと思っています。