『かなり』

干支に入れてよ猫

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私の記憶法

どうも、坂津です。

ふと思ったのですが、これって私だけなのでしょうか。

『自分の行動や知覚情報を文章として脳内に記述する』という癖があります。

常時というわけではありませんが、文章化しながら過ごす時と無意識に過ごす時は半々くらいです。

例えば席を立ってトイレに行くとき。

私の中で膀胱が水風船のように膨らんでいるのを感じる。

いや、溜まっているのは水では無く尿なので尿風船かな。

随分とお下品なネーミングだが事実なのだから仕方ない。

さて、この見積りだけ処理したらトイレに立つとしよう。

おいおい、こんな時に限って電話とは私もついてないな。

ふぅ。予想外の長話に膀胱が破裂寸前だぞまったくもう。

だが慌てて早足になるのもみっともないので優雅に行く。

余裕のある歩調でトイレに向かいつつ右手はファスナー。

左手で電気をつけファスナーを降ろしながら便器の前へ。

ふぅ。なんたる解放感。待たせたな相棒よく我慢したぜ。

こんな感じで、特に意味も無く頭の中でモノローグのように文章化していくのです。

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で、これがですね。

めっちゃ記憶に残るんですよ。

脳内文章化が完了した経験はほとんど忘れることがありません。

割と細部に至るまでめっちゃ覚えています。

なので覚えとかなきゃいけないことはどんどん文章化しておきます。

逆に、無意識のまま行動していると、全っ然覚えてられません。

例えば、何の意識もしないままトイレに行くと、自分で電気を点けたのか、最初から点いてたのかが分からなくなるときがあるんです。

職場のトイレは利用する人が点けて、終わったら消すというシンプルなルールなのですが、自分が使用する前から明かりが点いている場合、先客が居るということになるのです。

それで中に入っても姿が見えない場合は個室に入っていることになりますよね。

なので、自分が用を足し終えたとしても明かりを消すワケにはいかないのです。

それなのに無意識にボーッとトイレに行ってしまうと手を洗って出るときに「あれ、そう言えば電気って自分で点けたっけ?最初から点いてたっけ?」となってしまうのです。

しかし脳内文章化で『電気を点けた』というエピソードが語られていれば、確実に覚えていられるのです。

 

ただし、この『覚えていられる』というのにちょっとクセがありまして。

例えば「帰りにお米を買ってきてね」と妻に頼まれたとしましょう。

私はそれをしっかり記憶するためにすかさず文章化します。

『お米を』と頼まれたら5kgの無洗米を買う。

仕事の帰りに途中でスーパーに寄って買うのだ。

8時に終われたらあの店、9時ならあの店だな。

身重の妻に米などの重たい物は買わせたくない。

だからこうして頼んでくれるのはとても嬉しい。

しかし今朝も相変わらず可愛いじゃないか妻よ。

さて、できればなるべく早く帰りたいものだな。

こんな感じで。

しかし私はお米を買わずに帰宅し、玄関のドアを開けた瞬間に「はっ!」となるのです。

この時、お米の購入を依頼されたときの状況や妻の愛らしい顔などははっきりと思い出せるのですが、思い出すまでは忘れているのです。

そう、この『覚えていられる』というのは『常に覚え続けていられる』というワケではなく『思い出そうとするキッカケがあれば鮮明に思い出せる』という類のものなのです。

なので、思い出そうとしなければ忘れられたままの状態であり、つまり役立たずのポンコツというわけです。

イメージ的には『記憶をインプットしたときの状態で劣化が少なく保存することはできるが、そのデータが存在すること自体は別で管理しなければならない』状態なのです。

もうちょっと性能の良い頭脳が欲しいとは思いますが、無い物ねだりしても仕方が無いですよね。

覚え続けていられる人ってどんな頭をしてるんでしょうねぇ。