どうも、坂津です。
私たちは言語を理解する際、単語だけでは意味を特定できない場合でも、前後の文脈からなんとなく語り手の意図を類推することができます。
簡単な例で言えば、単純に『くも』とだけ言われた場合は『雲』なのか『蜘蛛』なのか分かりませんが『空にくもが浮かんでいる』というように、その単語の前後に情報があれば『この場合のくもは雲だろう』と理解することができるのです。
また、初耳の言葉に遭遇して意味が分からないときでも、なんとなくニュアンスだけは理解できたりします。
例えば『
ネットスラングなんかでも同じことが言えますね。
だいぶ古い例ですが『kwsk』とか。
元の意味としては
『その件について詳細を教えてください』
⇒『それ詳しく教えて』
⇒『詳しく』
⇒『KUWASHIKU』
⇒『kwsk』
という感じです。
アルファベット表記の子音だけを残したものなんですね。
後に付属する母音が変われば全く異なる単語になってしまいそうなものですが。
『
でも前後の文脈があれば誤解も生じません。
あと数字のゴロ合わせなんかもありますよね。
『4649』で『ヨロシク』と読んだりとか。
これも、各数字に複数の読み方がありますので、単体では誤解される恐れもあります。
例えば『428』は『
さて、このように私たちは、正確な意味のやりとりをするために『主となる言葉や事象』と、それを補うための『前後の情報』が揃って初めて、誤解の少ない認識を得ることができます。
これは、ごく短い文章のみならず、起こった出来事を知らせる情報にも言えることです。
しかし残念なことに私たちを取り巻く情報環境は『切り取られた断片的なソース』で溢れています。
それが『偶然そこだけ抜き出された』のか『意図的に切り取られた』のかはさて置き、とにかく情報を受け取る側は『果たしてこの情報の前後はどうなっているのか』に関心を持たなければならないのです。
なのですが。
実際のところ、受け取った情報の前後確認は意外と置き去られがちです。
例えばそれが自分に降り懸かる事柄だった場合は即座に確認するものです。
友達から『428に集合』とLINEが入ったりしたら、それが渋谷なのか四ツ谷なのか確かめないわけにはいきません。
しかし自分に直接関係無い出来事を耳にしたときには、不思議とそのまま受け取ってしまいます。
前後の文脈によって解釈が180度変わってしまうような内容でも、断片的な材料だけで組まれた不十分なソースを鵜呑みにしてしまいがちです。
それでもまだ、それが良い内容ならセーフなのですが、往々にして『悪い情報ほど、ごく一部分のデータのみが抽出されている』ことが多いのです。
そしてそれを深く考えずに丸呑みした人たちが安易なツールを使って安易な気持ちで安易な言葉を垂れ流してしまいます。
情報の拡散速度が尋常ではない現代、知らず知らず自分が『誤った情報』の発信源になってしまう可能性もあります。
しかもそれによって特定の誰かを傷つけてしまうことだってあるのです。
何らかの情報を得たとき、その前後関係にまで思考を巡らせて、調べて、確認するという冷静さを忘れずに居たいものです。