『かなり』

干支に入れてよ猫

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人間の認識能力

どうも、坂津です。

今週末はまた台風が来るかもしれないんですってね。

次こそはコロッケを用意しておきます。

でも、準備万端に構えているときほど、肩透かしを食らうことってありますよね。

逆に無防備なときほど事案が発生したりします。

もう20年以上前ですか、マーフィーの法則というのが流行ったと思いますが、まさにソレですね。

分かりやすいのはコレでしょうか。

 

洗車しはじめると雨が降る。雨が降って欲しくて洗車する場合を除いて。

 

さて、我々ひ弱な人類は『先を予見する能力』を得ることで繁栄してきました。

過去の経験から学び未来を予測し、危険を回避したりより良い結果を導くように行動します。

未来に起こるであろう事象、その可能性を認識できるからです。

この可能性の認識は非常に優れた能力であり、他の動物が持つ学習能力とは比べようも無いほどの精度と確度を誇ります。

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しかし、この能力には副作用もありました。

それは『あのときこうしていれば』『もしああいていたら』という平行世界パラレルワールドを認識してしまうのです。

時間が持つ不可逆性を充分に理解、実感しているにも関わらず、優秀過ぎる認識能力が『視て』しまった『もしもの世界』を思考から分離することができません。

 

そして時に、その『もしもの世界』への羨望、渇望、熱望が自制を超えて膨れ上がり、いつの間にか『誤った選択の果てに現状がある』という妄執に取り憑かれてしまうのです。

この誤認識を正すには、改めて現実を正しく認識し直す必要があります。

 

さて、私が不意に「あーあ、背中に翼が生えて飛べるようにならないかなぁ~」なんて言い出したら、大抵の人は「レッドブルでも飲みたいの?」などと返し、私の妄言をまともには受け取らないでしょう。

それは「人間の背中に翼が生えて飛べるようになる」ことが『有り得ない』ことを知っているからです。

見たことも聞いたことも無いからです。

 

同様に、自身の過去の選択において『あのときこうしていれば』という思いと共に、その選択を再びやり直せるなんてことも、無いはずです。

どんなに脳内で別の選択肢を採択したところで、それは現実には何の影響も与えません。

 

つまり、過去のある時点においての選択を悔やむような事態に陥った場合、『いくら悔やんでもどうしようもない』という事実をまず受け入れなければなりません。

違った選択をした別世界、異なる結果になった他の自分、そんなものは存在しないのです。

優れた認識能力が副作用で生み出した幻影です。

 

だから私は強く、自分自身に言い聞かせるのです。

 

「私は食った。好き放題食った。だから今、ズボンがキツイのだ」