どうも、坂津です。
私たちはある程度の未来を予測し対策を講じることで平穏を享受しています。
簡単に言えば『今日は雨が降りそうなので傘を持って行く』ような感じです。
これは誰しもがごく自然に行っていることで、取り立てて解説するようなことではありません。
しかし、私たちが予測し得る未来の情報は、基本的に『過去の記録』を参照しています。
言わば経験則。
どれだけ緻密に統計をとって精密に計算したとしても、それは変わりません。
つまり大雑把に表現するならば『炎に触ろうとしたら熱かったので、次に炎を見ても触るまい』というような極めて原始的な学習機能の延長で、未来を予測しているのです。
ここ最近『観測史上初』と冠された気象現象が多い気がしませんか?
今回の台風12号なんて、本当に驚きでしたよね。
まさか東から西のコースを通るなんて。
きっと今後もこういう『今までこんなコトは無かった』というような事象がどんどん起こるんじゃないかと思います。
そしてそーゆー出来事、事象に対して私たちは『なんだかおかしいね』『異常事態だよね』と言い合うのです。
でも、それは単に『今までの経験からすると』ってだけで、将来的には取り立てて騒ぐほどのことじゃない普通になっているかも知れません。
つまり私たちはある程度の経験、統計、サンプルデータから、対象に『これはこーゆーもの』というラベリングをし、その対象がラベルから外れたときに慌てるという習性を持っているのです。
学習機能の副作用ですかね。
さて、そう考えると私たちは、自分が干渉できない対象の『変化を受け入れ難い』ように思います。
その最たるものが『あいつは変わった』的なやつです。
環境や自然現象などはスケールが大き過ぎて諦めざるを得ないので『とは言っても自分ではどうすることもできないからとりあえず出来ることをしよう』と思考を切り替えられるのです。
そして自分の認識の方を改めることができるのです。
それなのに、対人関係になると急にそう考えられなくなります。
相手のことを勝手に作った人物像に設定し、相手がその人物像から外れたら『おかしい』『異常だ』と騒ぐ。
自分が手前勝手に構築しただけのキャラ設定なのに、相手の実体よりもなぜか自分の認識、自分が作った人物像を優先してしまうのです。
予想外の軌道で襲来した台風に『なんでいつもと違う行動するんだよちくしょう』といつまでも根に持って恨みつらみを吐き続ける人はいません。
想定外の雨量をもたらした前線に『今までこんなこと無かったじゃないか!』といつまでも激怒し当たり散らす人はいません。
『今まではそうじゃなかったけど、こういうこともあるんだな』と受け入れるしかないのです。
そしてそうしなければ前に進むことはできません。
対人関係も同じです。
どうあっても相手を変えることはできません。
自分の認識を変えるしかないのです。
他者の人格、考え方、価値観、思想などは、自然現象と同等だと思って臨むのが賢明なのだと思います。