どうも、坂津です。
成人してからこっち、世にはびこる『大人像』と『子供像』に振りまわされること20余年。
何が大人で何が子供なのか。
どうしたら大人っぽくて、どうすれば子供っぽいのか。
明確な基準を把握できないまま、ただ歳を重ねてきました。
こういうことに答えを求めようとするのは、子供っぽいでしょうか?
曖昧なものを曖昧なままで受け入れる方が、大人っぽいでしょうか?
このような境界のハッキリしない分類は、とにかく事例を集めることが実像の把握に近付く方法です。
例を出し、それが『大人』と『子供』のどちらに分類されるかを定義していく。
これを繰り返すことで輪郭が見え始めるのではないでしょうか。
例えば。
「お茶しない?」と聞かれたときの返答。
A.「いいよ! お店どこにする?」
B.「ごめん、忙しいんだ」
C.「でゅふっ・・・せ、拙者と? お茶を? コポォ・・・」
D.「お茶というのは茶の木の葉、もしくは広義で茶の木以外の植物のいずれかの部位から抽出された成分を含む飲料だけど、それに対して『する』『しない』と表現するのは少しおかしいかな。『飲む』『飲まない』の方が正しいと思うよ。で、飲むか飲まないかで言えば『飲まない』だね。なぜならさっきコーヒーを飲んだばかりだから」
E.「裏千家で茶名と紋許を頂いたこの私に『お茶』ですって? いえ、失礼。本来の茶道とはお茶をたのしく頂くもの。例えあなたのような人でもお茶をたのしむ自由と権利がありますものね。では気候も良いことですし中庭で野点でも催しましょうか。」
まずAの回答。
YESかNOかをハッキリと伝え、更には具体的なプランを決めようとする姿勢を見せることで相手に自分の積極性をアピールしています。
また店の選択権を相手に譲るという気遣いもみられ、確実に『大人』の返答ですね。
次にBの回答。
例え内容が拒絶であったとしても、相手に誤解をさせない答えという点で『大人』です。
また簡単ではありますが、忙しいという理由も添えられているため、相手も納得しやすいでしょう。
そしてCの回答。
これは質問に質問で返すという愚の骨頂を絵に描いたような返事。
しかもキモい。
自分のことしか考えず相手への心配りがまるで無いので『子供』と言えるでしょう。
Dの回答。
名詞に「する」を付加して動詞化する俗語が日本に根付いて約50年。
ただし『お茶する』に関してはここ20年あまりで衰退している表現であり、死語扱いされることも。
つまりDのような回答をする人は50年前にすでに言語形成期を経ている60歳以上の方、もしくは10代の若者ということになる。
前者であれば『大人』で、後者であれば『子供』だ。
Eの回答。
茶道で茶名を許されているのであれば、それは作法だけでなく人間性も含めて認められているということ。
この返事はあからさまに意地悪で相手への悪意が滲み出ているため、恐らく免許の件は虚偽。
単に茶道を習っている、もしくは習っていたことがあるだけだと思われる。
しかし咄嗟の返答にこれだけの嫌味とマウンティングを込められるのはどう考えても『大人』だろう。
ということで、大人はA、B、Eで、子供はC、Dということになりました。
あー、意味の無い思考実験だった。