『かなり』

干支に入れてよ猫

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自殺をとめる資格

どうも、坂津です。

ちょっと難しいことを言います。

いや、難しいというか、ややこしいことを言います。

 

『気軽に「死ぬ」なんてことを言うな』なんて気軽に言うな。

 

なんだか最近「死にたい」的な発言をよく見かけるなぁと思いまして。

そのたびに湧き起こる自分の中の感情と向き合って、ちょっと反省した回顧録的な記事です。

 

少し話が逸れますが、今月になって私の周囲であまりにも「死にたい」方が多いように感じられるので、そういう時期なのかと思って調べてみました。

こちらのグラフをご覧ください。

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警視庁が発表している、月別の自殺者数です。

自殺者数|警察庁Webサイト

そしたら12月って1年の中でも件数が少ない月なんですね。

でもよく見たら1月はポンと上がってるんです。

これって、12月にそういう気分が積もり積もって、年明けに決心するってことでしょうか。

 

 

さて、冒頭の言葉ですが、私がつい最近、自分自身に言い聞かせた言葉です。

誰かが「死にたい」と言っている場面に遭遇すると、私は反射的に「やめろよそーゆーの」という態度を取ってしまうのです。

 

以前、こんな記事を書きました。

上記は、後先考えずに「死ぬなんて言うな」「生きろ」と言ってしまう私の悪癖を利用してからかわれたという苦い経験談です。

 

私は私の価値観を判断基準に人と接しますが、もしかしたらそれは大きな間違いなのかもしれないと思うようになったのです。

なぜなら、自殺の末に得られる『死』について、私と相手とではまるで認識が違うかもしれないと思い至ったからです。

物事について議論を交わすのならば、その議論の対象ぐらいはせめて、定義を共有しておかねばなりません。

私は私の定義する『死』だけを以って対話に臨もうとしていました。

これは相手に対してとても失礼なことです。

私とは異なる価値観と思考回路と感情によってその結論に至った相手に対し、何の詳細確認も認識共有もしないまま頭ごなしに「それはダメ」と決めつけて良いはずがありません。

これではまるで相手を尊重していない。

 

まずは相手にとって『死』とは、『自殺』とは、どのようなものなのかをヒアリングせねばなりません。

話したく無いこともあるでしょうから強要はしませんが、どのような経緯でその発言に至ったのか、話せる範囲で説明してもらいます。

その後、相手が話してくれた内容を反復し、まとめます。

例)「なるほど、あなたは○○という問題の解決策として、それに考え至ったんだね」

ここで必ず相手の了解を得ます。

認識の共通化は適当ではいけません。

もし相手が「まぁそれだけじゃないけどね」などと言おうものなら、必ずその他の要因についても言及して貰わなければなりません。

 

勘違いしてはいけないのは、このプロセスは『相手の自殺を止めるため』に行われているのではありません。

その前段階です。

つまり『自殺を止める機会をもらう資格』を得るためのステップです。

相手に対して認識の共有化を求めたヒアリングの結果「話したくない」「言いたくない」と拒絶されてしまったら、そもそも止める資格すら持たないのと同義なのです。

 

さて、ヒアリングが完了して相手のことが理解できたのなら、次はこちらの考えを説明する番です。

議論は一方通行では成り立ちません。

当然ながら相互理解が必要です。

相手の価値感について理解したならば、次はこちらの価値感を理解してもらわねばならないのです。

ここで重要なのは、理解してもらえれば良い、ということです。

この段階で無理に説得してはいけません。

そういう考え方も在るということだけを理解してもらうよう心掛けます。

そして、自分の考えを反復し、まとめます。

例)「つまり、私は自殺が○○という問題の解決にはならないと思うんだ」

ここで必ず相手の了解を得ます。

もちろん、自分がそう考えている、ということだけを了解してもらえれば良いのです。

 

これで相手と自分、両者の意見が出揃い、そしてお互いにその考えについての理解が得られます。

そしてここで最も肝心なこと、それは相手に対して宣言することです。

 

「色々と話を聞かせてくれてありがとう。あなたの考えは大凡おおよそ理解できたつもりです。そして私の価値感についても、ご理解いただけたと信じています。さて、お察しの通り私はこれからあなたの自殺を思い止まらせるべく説得を開始しようと思っていますが、あなたはその議論の相手をしてくれますか?」

 

ここでYESの回答を得られて初めて、自殺を止める資格を得ることができたと言えるのです。

 

私は今後このことを胸に刻み、決して気軽に「死ぬな」などと言わないようにします。