どうも、坂津です。
『パズル』と聞いて、何を思い浮かべますか?
ジグソーパズル?
クロスワードパズル?
もしかしたら知恵の輪のようなものや、ゲームアプリを思い浮かべた方もいらっしゃるかもしれませんね。
そのどれにしても、とりあえず『正解』のようなものがあると思います。
組み上げ系の物なら完成がゴールであり正解です。
解き明かし系の物なら解答に辿り着くのがゴールであり正解です。
さて、例えばジグソーパズルを購入して、全てのピースを使い切った最終形がこうだったら、どう思いますか?
きっと誰しも『不良品だ』『パーツが足りない』と思うことでしょう。
しかしなぜこれを見て『欠けている』『不足している』と認識するのでしょうか。
それは、完成形が容易に想像できるからです。
そしてその完成形と現実にギャップがあることを確認できてしまうからです。
『正しいゴールはこの形状』というものを思い浮かべることができるからこそ、足りないと思ってしまうのです。
そしてその正しいゴール像は、他のパズルを見て知っているからこそ思い描くことができています。
さてそれでは、私たちの人生はどうでしょう?
完成形が想像できるでしょうか?
こう組み上げるべきという設計図があるでしょうか?
必要なピースはこれだけだよと書かれた説明書が存在するのでしょうか?
答えはNOですよね。
そんなものありません。
だって人生はパズルでは無いんですから。
それなのに、なぜか人生をパズルのようなものだと思っている方が多いように感じます。
完成形はまるで分からないのになぜか現状が未完であるように思えて、何が足りないのか分からないまま手当たり次第にピースを集める。
私たちはずーっと、拾い集めて組み込んでいくことしか教わっていません。
どうすれば効率的にピースが集められるか?
より価値の高いピースを見極めるには?
見栄えの良いピースの組み合わせ方法は?
目指すべきゴールが見えないのなら、現状が完成状態だと考えても良いんじゃないかと思います。
でもそれができない。
なぜできないのか。
それは『他のパズルを見て知っているから』です。
つまり『他人と比べているから』です。
自分自身が既に持っているピースで組み上げた現状、それに対して『これが完成だ』と納得できる人はごく少数です。
もし仮に全ての人が現状で満足できちゃったら人類の進歩や繁栄はありませんから、当然と言えば当然なんですけどね。
でも、それと引き換えに『足るを知る』ことが困難になってしまうというデメリットを、私たちは持ってしまっているのです。
人間と言う種は、現状に満足せず蜃気楼のような完成形を求めてどこまでも走り続けることに価値を感じるよう、自らを仕向けています。
そうすることで『種全体』を存続させるような戦略を取っています。
しかし、その流れに上手く乗れない『個』も多いのです。
『手持ちのピースで満足する』という選択肢を捨てることで進化してきた人類。
しかしその選択肢が無いせいで苦しむ個人。
つまり何が言いたいのかというと、これなんです。
私は手持ちのピースで組み上げられるこの図に、どうしても満足できない。
圧倒的に足りないのです。
目の前のこの状況に「これで完成だ」と思うことが出来たらどんなに幸せでしょう。
嗚呼しかし、私たち人間にそれは許されない。