『かなり』

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飲食店の予約をドタキャンすると食品が廃棄されるのは絶対か

どうも、坂津です。

皆さんは『勿体無い』について、どう思われますか?

一般的に「物の価値を十分に生かしきれておらず無駄になっている」状態やそのような状態にしてしまう行為を、戒める意味で使用される。

もったいない - Wikipedia

最近目にしたニュースの中で、飲食店の予約がドタキャンされることによる食べ物の廃棄問題がありました。

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ここでしきりに出てくるキーワード『勿体無い』は、食べられること無く廃棄されてしまう食品に対して使われています。

私はここに、少し違和感を覚えるのです。

 

ドタキャン問題と、食べ物をてることを混同して考えてはいけないように感じるからです。

 

まず予約のドタキャンについて。

これはお店側にも大いに責任があるでしょう。

だってキャンセルできる仕組みなんだから。

予約時間より前に料理を用意する場合、つまり開始時間に料理が揃っている状態を望むのならば、お客さんは前金で支払うべきです。

逆に支払い無しの予約だけの場合は席の確保までにすべきで、料理は着席して注文を貰ってから用意するようにしなければなりません。

もちろんそこで品切れが発生しても、お客さん側がとやかく言う権利はありませんし。

こういう仕組みにしなければ、ドタキャンや無断キャンセルは無くならないと思います。

むしろ予約が簡単に出来過ぎるという状況ではないでしょうか。

偽名と偽の電話番号でも、電話で口頭での予約ができてしまうお店も多いと思います。

それを根本的にどうにかしないと、キャンセル問題の解決は難しいでしょう。

 

まぁ、こんな簡単なことみんな考えているでしょうね。

 

でもそうしていないのは『予約の敷居が高くなる』『気楽に予約できないと客が減る』という店側の思い込みが原因なんじゃないでしょうか。

予約を受ける側がそういうルールを作らず、いつまでも『お客様の良心を信じる』ことだけでやっていこうとしているから、この問題が無くならないのです。

『マナーを守ろう』だけでは済まないからこそ決まり、ルールが存在するわけです。

それをせず、SNSなどでドタキャンした人が晒されたりして誹謗中傷の的にされているのを目にします。

これって、公開私刑ですよね。

 

キャンセルされた被害者はこちらだから正義は完全にこちらにある。

だからキャンセルした加害者であるあちらは悪だ。

これは私怨では無く、あくまでも悪を懲らしめるための正義の鉄槌である。

 

こんな勘違いの思い込みが蔓延するのはとても悲しいことです。

 

食品を廃棄せざるを得ない状況を作ったのは、本当にドタキャンした人ですか?

 

この思い違いが発生する背景には『食べ物をてるのは良くないこと』という刷り込みが私たちの中に根付いているからです。

本当にそれが良くないことで、阻止すべきことなのであれば、ドタキャンできない仕組みを構築しなければ辻褄が合いません。

もしくはキャンセルされても食品を廃棄しなくて良い仕組みを。

 

それなのに誰もそうしようとしない。

いや、もちろん一部の方々が色々なアイデアで食品廃棄を減らそうとしているのは知っていますし、そのような取り組みは素晴らしいと思います。

ただ、それはまだまだマイノリティです。

なぜか。

それは、飲食店はビジネスだからです。

用意された食品は原価というお金として数値化され、それが売価に変わらなかったことに対する『勿体無い』だからです。

ビジネスでやっている以上、様々な要因によるある程度の損失は見込まなければなりませんし、その可能性は最初から織り込み済みです。

『廃棄によるロス』と『キャンセル予防策を施行することによって予測される売上減少』を天秤にかけているから、実際に廃棄される食品のことは視界に入らないのです。

 

でも、それで良いと思います。

仕入れた材料、加工に費やした時間、それらがマナー違反によるキャンセルで無駄となり、売上に変わらなかったことは、大いに憤るべきことです。

そしてその憤りは、それが繰り返されないよう、対策を練るエネルギーとして使われるべきです。

ビジネスでやっていることなんですから、無駄が発生したことに対して同じことが繰り返されないように策を講じるのは当然なのです。

 

そして検討の結果、もし『廃棄も止む無し』となったならば『勿体無いという大義名分を振りかざした私刑』は、やめるべきでしょう。

 

さて、ここからが本題です。

実際に損害を被るお店側が、売上を取り損ねたことに対して『勿体無い』と考えることは理解できます。

そして一時の感情でそれを爆発させてしまうのも理解できます。

 

しかし、部外者がそのドタキャンに対して『勿体無い』という根拠の無い幻想を盾にキャンセルした人を叩くのは大いなる間違いです。

そこで廃棄されている食品はお店がお金を払って購入したものであり、お店の所有物です。

それをお店の都合で廃棄しているだけです。

部外者がとやかく言うことではありません。

まして『勿体無い』は、被害者意識に相乗りして見ず知らずの誰かを叩くための材料ではありません。

 

極論を言えば、食品に対しての『勿体無くない状態』についてまるで無頓着なハズの私たちが、その食品がゴミ箱に入った瞬間に『勿体無い』と感じてしまうこと自体が間違いです。

 

ちょっと大袈裟なことを言いますよ。

 

即座にゴミ箱に入るのと、私たちに食べられて翌日トイレに流されるのと、どこに差がありますか?

少し食べて残し、残飯として捨てられるのは?

残さず食べたあとで吐き出すのは?

刺身の下敷きになっている大根や紫蘇葉は?

私はエビフライの尻尾まで食べますけど、残す人も多いですよね?

ラーメンをスープまで全部飲みますか?

冷蔵庫の中で賞味期限を迎えてしまう食品は?

 

どこまでが勿体無くて、どこまでが勿体無くないのか。

 

さらに言えば、完食してきっちり消化吸収して活動するためのエネルギーに代わったとして、そのエネルギーの使い方が残念だったら勿体無いことになりませんか?

 

お店側が『キャンセルされ売れなかった』=『食品がお金に変わらなかった』ということを勿体無いと考えるのは非常に分かりやすい。

利益と損失が数字で見えるから。

 

でも『食べ物を粗末にするな』という観点のみを振りかざして人を滅多打ちにしている方、冷静に考えてみてください。

 

『勿体無い』の境界の線引きは完全に個人的なものです。

 

つまり『勿体無い』は自戒のための概念であり、決して他者を攻撃するための大義名分では無いということです。

 

ドタキャンが良くないことなのは、お店に損害を与えるからであって、食品が廃棄されることとは別次元の話なのです。