『かなり』

干支に入れてよ猫

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感謝と応援で溺れる

どうも、坂津です。

『医療従事者に感謝』というムーヴメントが起こっています。

青色のイルミネーション的なライティングをしてみたり、定時に一斉に拍手を贈ってみたり。

良いことだな、と思います。

特に何が出来るわけでもない無力な一般市民である我々が、感染と隣り合わせの危険な職場でギリギリの職務遂行をしてくださっている医療従事者の方々へ、ほんの少しでも何か力になれるのであれば、惜しみない拍手をと思います。

 

ただ、感謝や応援が、必ずしもプラスに働くとは限らないということを、私たちは知っておくべきでしょう。

 

感謝、祝福、祈り、応援、声援、鼓舞、激励。

これらは、これが贈られる対象の『背中を押すチカラ』になります。

苦しくもゴールを目指し走っているとき、険しくも山頂を目指し登っているとき、これらのエールは文字通り『背中を押すチカラ』として働き、一歩を踏み出す原動力になるでしょう。

 

しかし。

 

現状の医療現場が、果たしてゴールのあるマラソンと言えるでしょうか?

到達点が目視できる登山でしょうか?

 

どこに向かえば良いのか分からない、地平の無い荒野なのでは・・・?

いや、もしかしたら何も見えない真っ暗闇かも知れません。

 

想像してみてください。

何の明かりも無い闇の中で、背中を押されたら?

むしろ、崖っぷちに立っているのに背中を押されたら・・・?

 

同じ環境に身を置いていても、見えている心象景色は人によって違います。

私たちが感謝や応援のつもりで贈る声が、拍手が、もしかしたら彼らを追い詰めてしまう可能性もあるのです。

本当は振り返りたい、後ずさりしたい、後退したい、そんな心境の人にも『背中を押すチカラ』として働いてしまうのです。

 

感謝するな、応援するな、とは言いません。

むしろ進んですべきと思います。

しかし、それはやはり相手のことをよく見て考えてすべきかと。

決して『みんなやってるから』『なんか流行ってるから』というような軽薄な気持ちで面白おかしくやるものではありません。

 

地雷原にいる兵士に安全圏から浴びせられるスタンディングオベーションは、時としてプレッシャーや威圧になってしまうことも、あるのです。