あけましておめでとうございます、坂津です。
世の中にはたくさんのビフォーアフターがありますね。
使用前⇒使用後
施術前⇒施術後
挑戦前⇒挑戦後
我々は様々な物事について事前に事後の状況を情報収集してから実践にうつるケースが本当に多くなりました。
でも実は「情報を欲しがる人が増えた」のではなくて「発信したがる人が増えた」んじゃないでしょうか?
私が撮影した写真にもたくさんの「発信したいから撮ったやつ」が在ります。
例えば我が家のテーブルとか。
変更前
変更後
例えばちょっとだけ雪が降ったとか。
融解前
融解後
例えば特別な買い物をしたとか。
開封前
開封後
「こんなことをやったよ!」
「こんな変化があったよ!」
「こんなものを買ったよ!」
私たちは様々な「聞いて欲しい」を発信します。
今ほど気軽に簡単に全世界の不特定多数に向かって発信できる世も無かったでしょう。
「だからこそ発信する情報には責任を持って」とか「明確なルールが無い以上ひとりひとりのマナー意識が大事」とかそんなつまらないことを言いたい訳じゃないんですよ。
金の採掘場で「てめぇ雲母コノヤロウ!金かと思っただろ紛らわしい!」なんて誰も言いません。
↓コレ雲母(うんも)ね↓
「見て判らない奴が悪いだろそんなの」ってなりますよね。
いずれ情報についても、そんな時代が来るんじゃないかなって思います。
今は何かと「発信側」に責任をなすりつけてくるのが常ですが、それは「受信側」に真偽とか信憑性とかを確認するスキルが無いからですよね。
「僕たち情報の真贋が判んないから変なの発信するのやめてよねー!」ってことです。
でもやがてgoogleさんあたりが頑張って、有象無象の中からクライアントに必要な情報を的確に探し出すような機能が開発されたりして。
もしくはそんな職業「情報ソムリエ」みたいなのが確立されたりとか。
ちょっと乱暴な表現ですが「2人の中から選ばれた1人」よりも「1000人の中から選ばれた1人」の方が価値がありそうじゃないですか?
結果的に同じ人が選ばれていたとしても。
逆に言えば「1人の敗者の上に立つ勝者」よりも「999人の敗者の上に立つ勝者」の方が価値が在るように見えちゃうんですよ。
だから、情報についてもそうなれば良いと思うんです。
重宝されるのは重要で役立つ情報なんだけど、それがより価値を得る為にはその他の「雑音」が必須であるという状況。
その雑音を垂れ流す係りとして、この『かなり』が存在意義を増すんじゃないかと。
雑記ブログの中でも特に重要性、信憑性、緊急性、モラル、意識、その他いろんなものが低い雑記オブ雑記。
雑記の星。
雑記スター。
雑記ing。
ザッキ、ザッカー、ザッケスト。
お役立ちブログを書かれている皆さんを陰で支える縁の下の雑記ブログ。
そんなブログを、私は書きたい。