あけましておめでとうございます、坂津です。
お題スロットを回してみます。
私が好きなのはコレ!
『わひとをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず』
漢字にすると
『倭人を一人 百な人 人は言えども 手向かいもせず』
「大和の国の武人は一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない」という意味です。
劇団☆新感線の『阿弖流為』で、主人公のアテルイが言ったセリフです。
お芝居のセリフですから、もちろんフィクションです。
ただ、この歌には元ネタがあります。
「えみしをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず」
エミシは一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない、という意味で詠まれているそうです。
そもそも大和朝廷は関東以北を未開の地と位置付け、そこに住まう人々のことを蝦夷と呼びました。
その呼び名には畏怖や侮蔑など、複雑な感情が込められていました。
現在でも一般人はテレビで報道されていることを簡単に信じますよね。
情報インフラが未発達な時代ではもっと顕著に「偉い人が言うことが正しい」という状況だったのでしょう。
朝廷「あ、俺やけど、俺、朝廷、わかる?」
蝦夷「知らんがな」
朝廷「知らんて!これやから田舎モンは!まぁええわ。金出しや」
蝦夷「は?何それ。いとウザし」
朝廷「ちょ、おま、俺にウザいって言った?ねぇ?」
蝦夷「なんでお前に俺らの金やらんといかんのか」
朝廷「だって俺朝廷やし。あんま反抗的やと処すでしかし!」
蝦夷「やってみろやモヤシ野郎!」
朝廷「つ、強ッ!怖ッ!蝦夷こわっ!」
こんな感じかどうかは分かりませんが、とにかく関東以北で独自の文化を形成していた人々は大和朝廷の支配下に治まることを拒み、迫害されていくのでした。
この石碑に刻まれている名は、西暦700年代終盤から蝦夷を率いて朝廷と戦った阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)です。
京都の清水寺に在ります。
このアテルイ、色々な作品でとにかく勇猛果敢に描かれているのです。
小説だと高橋克彦先生。
トンデモナイ設定ですが超面白い、漫画では阿弖流為Ⅱ世

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どの作品も「アテルイのこと大好きなんだろなぁ」と思わせてくれます。
朝廷「なんであいつらあんなに強いんや!」
蝦夷「大義も地の利も我に在り!!」
朝廷「ちょっとウチには強い奴おらんの?」
大伴「めっちゃ強いのおりまっせ」
朝廷「大伴弟麻呂くんやないか!誰?誰が強いん?」
大伴「坂上田村麻呂ですわ」
朝廷「呼んで!いますぐ呼んで!」
坂上「お呼びで?」
朝廷「征夷大将軍にしてあげるからちょっと蝦夷を処してきてん」
坂上「仰せのままに」
坂上「どうにか蝦夷の首領を説き伏せました!」
朝廷「マジで?お前すげーな!」
坂上「こちらも相当の痛手を負いましたが、なんとか」
朝廷「よっしゃよっしゃ。もうすぐに処しちゃって!」
坂上「殺すにはあまりにも惜しい逸材かと存じます」
朝廷「ダメ!俺に逆らったからダメ!」
坂上「そこをどうにか。何かあったら私が責任とりますから」
朝廷「ダメったらダメ!何?お前も処されたいんかえ?」
坂上「いえ、それは・・・」
朝廷「じゃあ口出しすんなっつの!あの蝦夷は絶対処すの!」
最後まで徹底抗戦を貫けば、まだ朝廷軍を疲弊させることが出来たアテルイでしたが、同族の被害をこれ以上広げまいと降伏します。
「蝦夷は獣の心を持つ野蛮な民」というイメージを植え付けられていた坂上田村麻呂でしたが、アテルイの勇敢な戦いぶりと智略を尽した戦術、礼を重んじる心と同胞を守りたいという熱い魂に触れ、「今の大和(朝廷側)にこれほどの男が居るだろうか」と感心します。
田村麻呂はアテルイの助命を嘆願しますが、朝廷はそれを退け、アテルイは処刑されてしまうのでした。
私はこのアテルイと田村麻呂の心のやり取りが好きで好きでたまらないのですが、それを見事に表したのが、冒頭の歌だと思うのです。
『わひとをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず』
漢字にすると
『倭人を一人 百な人 人は言えども 手向かいもせず』
「大和の国の武人は一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない」
これはアテルイが言うセリフですが、田村麻呂も内心これに同意するのです。
組織に属する中間管理職はつらいよね、田村麻呂。