どうも、坂津です。
寺田心くんを見て、とても可愛らしいと思います。
それと同じくらい、気味が悪いという印象も持ってしまいます。
先日コンビニで買い物をしているとき、小学校に入るか入らないかくらいの男の子が店員さんと交わしている会話に、気味の悪さを感じました。
店員「おつかい?えらいねぇ」
男子「そんなことありません。お母さんに怒られてばかりです」
店員「あらそーなの?こんな良い子ならおばちゃん、絶対怒らないわ」
男子「だったらぼく、お姉さんちの子になりたいな」
店員「あらあら、お姉さんだなんてホホホ」
男子「じゃあありがとうございました。また来ますね」
精神がザワつくのを感じました。
何だろう、この感じは。
そして気付きました。
心くんをテレビで見た時と同じ気味の悪さと同じ感覚だと。
「不気味の谷」というのをご存知でしょうか?
ざっくり説明すると、ロボットを作る時、そのロボットに対して人間が抱く好感度は、
ロボットの外見がどれだけ人間に似ているかに比例する。
しかし、人間に似ていく過程で「見分けが付かないほどの精巧さに至る直前の容姿」になると好感度はマイナスとなり、嫌悪感に変わる部分がある。
※「直前」には個人差があります。
これが不気味の谷と呼ばれる部分です。
言葉で説明するのは難しいですね。
Wikiに詳しく載ってますので参照してくださいね。
■似てる度 ■好感度
人間じゃない ☆☆☆☆☆
若干人間ぽい ★☆☆☆☆
割と人間ぽい ★★☆☆☆
結構人間ぽい ★★★☆☆
ほとんど人間 ★★★☆☆☆☆☆
見分けが困難 ★★★★★
こんな感じでしょうか。
明らかに違うものにはある程度の許容があるけれども、似て非なるものに対しては不気味さや嫌悪感を覚えるということなのでしょうね。
で、話を戻します。
私が心くんに対して覚える感情も、これと同じなのだと思います。
単純に「大人びた子ども」であれば可愛いと思うだけで終わりなのでしょうが、あまりにも大人に近過ぎて、でも大人では無いという存在。
きっとそれが私にとっての不気味の谷になってしまっているんでしょうね。
さて、私には不気味な心くんですが、手放しで可愛いと思う方も多いと思います。
また、例えば自分が親の立場で、子供があれだけ意志の疎通をこなしてくれたら、聞きわけが良かったら、すごく助かるなと思う人も多いんじゃないでしょうか。
これだけ「手間いらず」「らくらくカンタン」なんて商品が山のようにリリースされる時代ですから、育てるのに手間が掛からないような子供がもてはやされるのは当然のことでしょう。
もしかすると心くんのような大人びた子供の出現は、私たちが適応進化の過渡期にあることを示しているのかもしれません。
象牙目的で乱獲される可哀相なアフリカゾウが今、驚異的な適応進化をしているそうですね。
牙が無い象が生まれているそうです。
アフリカゾウが人間に狩られる唯一の理由は象牙目的ですから、そもそも牙が無ければ殺されないという理屈です。
牙無しゾウの子は、高い確率で牙無しとして生まれるそうです。
大人びた子ども牙無しのゾウと同じように、種として減少していく運命である私たち日本人が、生き残っていくための進化なのかもしれません。
扱いやすく育てやすい子供、大人の視点で話し合いが出来る子供、そんな子供ばかりの世の中。
「子供はこう在るべき」というガチガチの偏見に凝り固まっている私にとっては、非常に気味の悪い想像となってしまいました。
さて、ここからちょっと別件です。
このまま早熟が加速し蔓延してくるとすると、恐らく成人年齢の引き下げなど、法的なルールも変わってくるでしょう。
選挙権も18歳に引き下げたことですし。
いっそ15歳にもなればもう立派な大人という扱いとか。
この際もう結婚の年齢制限も無くしちゃいましょう。
あれ?そう言えば戦国時代とかの元服って15歳くらいでしたっけ?
大河ドラマとかの印象でしか無いですが、当時の子供ってやたらと早熟だったようなイメージがあります。
まぁ平均寿命が短いので、その分だけ人生が圧縮されているってことなのでしょうが。
はっ!
現代は寿命が延びた分だけ人生が間延びしてるってことなのか!?
私たちが持つ「人生に対する熱量」や「生きることへの思い」の総量は変わらないとして、それを人生の長さで割ってみる。
切り取った一瞬一瞬において、そこに懸ける圧力は、当然ながら短い人生の方が高いことになる。
昔の方がより、林先生の「今でしょ」が強いってことか。
もしかして早熟の子供の出現は、これから私たちの寿命が短くなっていくことの兆候だったりして?