どうも、坂津です。
『1+1=田』って、子供の頃やってませんでした?
田の字を構成する縦横の棒を数字と記号に見立てて
⇒1
⇒+
⇒1
⇒=
って感じで。
友達に「イチ足すイチは?」って聞いて「2」と答えられたら「田んぼの田でした~!」って言うやつ。
実に下らない遊びですが、しかし田を田としてしか捉えられない事の方がよっぽどつまらないとも思います。
ひとつの事象に対して多方面からのアプローチができ、多様な解釈を受け入れることができるのは、子供の特性だと思います。
ただそれら自由な発想は成長の過程でどんどん枝葉が刈り取られ、大人になると『社会で通用する普遍で普通の一般論』だけを残して忘却されてしまいます。
子供の頃には通用していた論法も、大人になると口にすることすら
何の根拠も後ろ盾も無い稀薄な言葉なのに、なぜか子供たちの間には拡散され浸透し、誰もが口にしたことがある言い回し。
一生のお願い
跳ね返しバリア
先生に言うからね
したけど忘れました
手袋を反対から言って
馬鹿って言った方が馬鹿
こっからここまで俺の陣地
何時何分地球が何回回った時
「子供の頃の純粋な心」は、大人の誰もが失くしているから尊いのです。
存在しないことが価値になっているのです。
だからそれが存在してしまった途端、一気に無価値、どころか逆にマイナスになってしまうようです。
坂津「ピザって10回言ってみて?」
部下「忙しい時に何言ってんですか」
坂津「ねぇ、ちゃんと風呂入った?」
部下「遊んでないで仕事して下さい」
坂津「ねぇ、パン作ったことある?」
部下「もう家に帰っちゃえよハゲ!」