『かなり』

干支に入れてよ猫

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主張がぶつかったとき

どうも、坂津です。

長いこと夫婦をやっていると、時には口論になることもあります。

どんなにお互い愛し合っていても、必ず意見の相違は発生します。

自分の中の譲れないモノがぶつかったなら、戦うしかありません。

私と妻もそれは例外ではなく、激しく主張し合うこともあります。

 

私「だからさぁ、無敵の方が強いんだってば」

妻「いやいや何言ってんの?最強の方が強い」

私「いやだって無敵だよ?敵が無いんだよ?」

妻「弱過ぎて敵が居ない可能性も考えられる」

 

どこのご夫婦であっても必ず一度は経験したことがあると思いますが『無敵vs最強』どっちが勝つのかバトルが勃発しました。

 

私「対抗できる者が存在しないことを無敵と呼ぶんだから、その理由が例え『弱過ぎ』という要因だったとしても、敵が存在しない以上勝利しか有り得ない。逆に勝てない敵と対峙してしまったらそれは即ち無敵とは呼べなくなり、それは無敵の概念に反することになる。つまり無敵であるということは常勝を約束されているということだ。それに比べて最強は、その存在の中に『強さ』を含んでしまっている。強さというのはTPOによって変化する性質であり、例えばガードゲームの大富豪では最強の2のカードも革命後は最弱になってしまう。言い換えるならば何らかのルールが存在する状況でなければ強さという概念は成立せず、ひとつのルールの中で最強だったものが他のルールの中でも強いままで居られる保証はどこにも無い。万能の神が存在し得ないのと同じく、万能の最強もまた存在し得ないのだよ」

妻「万能の最強が存在し得ないというならば無敵にもその理論は適用されるべきで、つまり最強も無敵も両者共に非存在ということになる。しかし今我々が行っている思考実験は概念の殴り合いであり、それが現実的であるか否かについて言及した時点でこれまでの議論と主張が水泡に帰すことは理解できているのかな?」

私「なるほどそれは失礼した。確かに最強という存在そのものを否定してはいけないな。ではこう言い換えよう。最強はとあるルール下で存在することができ、同ルール下で最強と無敵が対峙した場合、そのルールに従った勝敗という価値観で言うのならば最強が必ず勝利するだろう。だがその場合、敗退した無敵は既に無敵ではないので、最強が無敵に勝ったと表現することはできないがね」

妻「つまり最強と無敵はそもそも出会わないと?」

私「残念ながらそういうことになってしまうよね」

妻「闘争が避けられたのなら喜ばしいとも言える」

私「なるほどそれは素晴らしく平和的な意見だな」

 

私たちは、感情に訴えず論理的な会話で問題解決が出来る夫婦です。