どうも、坂津です。
記事を書くためのネタをちょいちょい書き留めているのですが、そのメモがあまりにも断片的であり中途半端であり情報不足なため、当時の私が何を言いたかったのかまるで分からないことがあります。
タイトルと思われるキーワードと、箇条書きされたいくつかの文章。
寝落ちする寸前とか、かなりの酩酊状態とか、そんなタイミングで書かれたものだとマジで致命的に意味が分かりません。
『サンタは本当に慌てん坊か?』
販促におけるシーズンイベント前倒しの風潮は流行を超え文化にまで育まれた。
その結果12月に入った瞬間に街はクリスマス一色に染め上げられることになる。
この環境でクリスマス前に来たサンタクロースを慌てん坊と呼べるのだろうか?
こんな状態のアイデアの欠片が残されていましたが、その時の私がどんなゴールを想定していたのかさっぱり分かりません。
なのでここで供養しようと思います。
『耕運機ってラッキーアイテムじゃね?』
耕運機ってなんかすげぇ運が良い感じがするよね。
自分で書いてて公開処刑されてる気分になるのもおかしな話ですが、ホントに恥ずかしい。
駄洒落としても発想としてもお蔵入り必死のくだらなさです。
なのでここで供養しようと思います。
『すぐ調べるのは良いことか?』
インターネットとインターフェースの発達により、いつでもどこでも誰でも何でも検索することができるようになりました。
情報の中に虚実が入り混じっているので取捨選択は必要ですが、とにかく膨大な情報を一瞬で得ることができるようになっています。
でもこれって、数少ないヒントの断片を頼りに自分で考える能力を削がれてる気がするんですよね。
何かを知りたいという欲求が自分の中で膨張し切る前に答えを得てしまうので、満足感もそれなりにしか得られません。
またこのような知り方をした情報は知識として身につきにくく、すぐに流れ出てしまう傾向があります。
私のお得意の『これで良いのか現代社会』系の雑記ですが、全然オチが見えません。
問題提起だけして自分なりの答えに辿り着いていないまま放置されています。
本来ならじっくり時間を掛けて考え直すところですが、めんどくさくなりました。
なのでここで供養しようと思います。