どうも、坂津です。
私は他者からの評価で『その発想は無かった』と言われるのがとても嬉しい人間です。
もちろん『思ってもみなかったけど、それはそれでアリだな』という評価のことです。
これは私が、その相手の世界を広げたということに他ならず、人は自分の世界を広げることで無限に成長できる生き物であり、つまり私のアクションによって相手がほんの少しでも成長したと思えるからなのです。
簡単な例で言えば調味料。
唐揚げにはマヨネーズしか認めないという人に対し、柚子胡椒をオススメしてみたところ意外と良い反応があった、みたいなやつ。
その人のマヨ唐オンリー人生に、私の勧めによって柚子胡椒という選択肢が増えたということに喜びを感じるのです。
選択肢の多さこそが人生の豊かさの象徴ですから。
そしてその選択肢は、目の前に転がっていてもなかなか気付かないものなのです。
なぜなら私たちには『思い込み』という呪いがかけられているから。
自宅の庭の雑草が気になって悩んでいる人が居たとします。
彼は草抜きをしなければならないと思っています。
しかしそのための時間と労力を想像すると、面倒な気持ちが湧いてきます。
庭の手入れをしなければならないという義務感と、それを面倒に思う怠惰の念が矛盾を引き起こし、葛藤状態に陥るのです。
このときの彼が想像し得る選択肢は、以下のものくらいでしょうか。
1.除草剤を撒く
2.業者に依頼
3.諦める
しかし、庭には枯らしたくない花もあるので除草剤は使えない。
業者に頼んで金銭が掛かるのは避けたい。
かと言ってこのまま草ぼうぼうで放置はしていたくない。
こんな『選択肢を否定する要素』があった場合は、もう自分で自分のお尻を叩いて草抜きをするしかありません。
と、思ってしまいがちです。
しかし、これこそが思い込み。
目の前にある選択肢を見ていない状態なのです。
こんなときは、情報を整理して箇条書きし、それぞれの項目に『なぜ?』を突き付けると良いでしょう。
今回の場合であれば
・草抜きをしなければならない
・草抜きするのが面倒だ
という相反する二つの項目が出てきます。
それに対し、それぞれに『なぜ?』をぶつけてみましょう。
・草抜きをしなければならない
⇒家の前の通りから見える庭が手入れされていない状態なのは見栄えが悪く、近所の人の目が気になるから。
・草抜きするのが面倒だ
⇒なぜと言われても面倒なものは面倒としか言えない。
例えばこんな回答が出たとしましょう。
こうなると、自分が感じている『面倒だ』という気持ちをどうにかする方が困難であることが分かります。
だって理由が無いから。
反対に、人の目が気になるという理由で草抜きをせねばならないということが明らかになったのならば、そこから別の選択肢が見えてくるでしょう。
1.通りに面した壁を高くして目隠しする
2.『雑草繁殖実験中』という看板を立てる
3.庭部分だけを売却する
壁を高くしてしまえば雑草が伸び放題の庭が他者に見られることはありません。
これはこれで解決の一案となりますよね。
また、雑草まみれの庭を『それが正しい状態』ということにしてしまうのも一考の余地があります。
実験をしているなら仕方ないと思ってもらえるかもしれません。
更に言えば、庭が自分の所有物だから手入れしなきゃいけない気になるのであって、それが他者のものであれば一気に問題視しなくなるのが人間というものです。
他人の土地がどれだけ荒れていても、まぁいいやと思えてしまいますよね。
あ。
選択肢が増えるということと、それを選択するかどうかは別の話なので、現実味うんぬんは置いておきましょう。
とにかく、何らかの岐路に立ったとき、切れるカードは多ければ多いに越したことはありません。
せっかく持っているはずの手札が『思い込み』によって不可視になっているのは非常に勿体無いので、まずは自分が持っている選択肢がちゃんと全部見えるよう、日頃から柔軟な発想力を鍛えておきましょう。