どうも、坂津です。
昨日の記事で食品廃棄について書くのに、ちょっと調べてみたことをまとめます。
一般家庭における食品ロス率
⇒3.7%
食堂・レストランにおける食品ロス率
⇒3.6%
結婚披露宴における食品ロス率
⇒20.2%
宴会場における食品ロス率
⇒18.0%
これら全部の合計食品ロス率
⇒9.8%
(農林水産省:平成26年度食品ロス統計調査報告より『廃棄量÷供給量』で算出)
この調査結果によると私たちが様々なシーンで廃棄する食料品は、食べられる状態で目の前にある分の約10%になるようです。
ケーキならこれくらいの量を。
ピザならこれくらいの量を。
全体の廃棄量を一人ずつに割り振ると、これくらいを棄てているようです。
さて、こういった食品の廃棄は、普通に考えれば「無くした方が良いもの」ですよね。
誰だってそう思うでしょうし、恐らくはそれが正しいのだと思います。
私個人のことで言えば、基本的に出された食べ物は全部食べきる主義です。
ちょっとくらい体調が悪くなることも
ただ、賞味期限が1時間でも過ぎていたら即座に捨てます。
なので『食べきれる分だけを用意し、賞味期限の近い物から消費する』という当たり前のことに気をつけています。
ただ、それでも残飯は出るし、冷蔵庫からゴミ箱に直行する食品はあります。
きっと皆さんも同じような感じだと思います。
食べ切れなかったもの、うっかり期限が切れたもの、それらはどうしても出てしまうものです。
それに、こんな風に考えるとどうでしょうか。
もし仮に私たちみんなが工夫して食品廃棄がゼロになったとします。
すると、当然ながら食品の消費量は10%減るわけです。
そうなると生産者の収入も10%減るんですよね。
それから廃棄を請け負っている業者さんの収入も、減りますよね。
これを補うためには、減らした10%分の値段を、消費する分の食品に乗せなければなりません。
つまり、今まで通りに暮らしても、食品の廃棄を出さないように工夫して暮らしても、各家庭における出費は変わらないというわけです。
いや、むしろ普通は生産量が減ると効率も悪くなるので物量=金額にはなりません。
棄てない暮らしをする方が出費が増える可能性すら、あるのです。
これが雑で極端な論理だと言うことは自覚していますが、無い話ではありません。
私たちの社会は大量生産大量消費のバブル時代が終わって久しいとは言いながら、それでも基本的な構造は変わっていません。
それは、必要な物を必要な分だけ作るよりも、製造⇒卸⇒小売⇒消費者という流れの中、様々な理由で廃棄されることを前提とした大量生産の方が効率的で安価になるという構造です。
社会がこれの上に成り立ち、私たち全員がこのことによる利益を享受している以上、食品の廃棄は無くすことができません。
だから、農林水産省が推す食品ロスを無くそうという運動も、優先順位は『ロスの発生の抑制』を第一位に冠しているにも関わらず、ルールの名称は『食品リサイクル法』なのです。
~食品ロスの削減に向けて~:農林水産省~※PowerPointプレゼンテーション
生産余剰が出るのは仕方ないので、それを上手に別の方法で有効活用してねということです。
国だって結局は企業が儲けてくれないと税金が入ってきませんから、廃棄ダメゼッタイとは言えません。
と、そーゆーことならば、いっそのこと「金払って買ったものを食べようが棄てようが、それは所有者の自由だ」くらい開き直った方が気持ち良いかもしれません。
「あの国では飢餓に苦しむ人たちが大勢いるのに、我が国はこんなにも食品を棄てている」なんて罪悪感を煽る情報は、右から左に受け流しましょう。
「生産者の人たちが丹精込めて作ったものを粗末に扱うのは悪いことです」という神話には耳を塞ぎましょう。
そして捨て場の残容量が無くなって国全体がゴミ屋敷みたいになるまで作って棄ててを続ければ良いんです。
そんな馬鹿な。
そう、最後の問題、ゴミの処分キャパの問題だけはどうすることもできません。
良心だの道徳だのではなく、私たちはゴミ置場の問題によって廃棄を見直さなければならないのです。
ただもし、自国内でリサイクルしたり圧縮したりするよりも安価にゴミを引き受けてくれる国が現れたら、迷わず利用するでしょうね。
仮に宇宙開発が進んでめっちゃ安価に地球外にゴミが棄てられるようになったら、進んでゴミロケットを打ちまくるんでしょうね。
『棄てない』の原動力は『勿体無い』ではなく『置場が無い』というのが現状なんです。