あけましておめでとうございます、坂津です。
需要と供給って言葉がありますよね。
世の中はそれで成り立ってると思います。
しかし、供給する側は常に考えなければいけません。
自分が供給しているものが、どういう仕組みで需要先まで辿り着いているのかを。
最も分かりやすいのは直接のやりとりですね。
需要者と供給者が直接やりとりをする場合。
例えば美容院でシャンプーしてもらうとか。
「髪を洗って欲しい需要者」=「客」と、「髪を洗ってあげる供給者」=「美容師」の直接的な関係です。
供給を受けた側がその対価を支払うことで、この両者は対等な関係となるのです。
さて、世の中の見渡すと、この需要と供給が上記のような直接的で分かりやすい関係ばかりではないことは周知のことと思います。
例えば。
さっきの美容院の例で言うと、美容師さんが雇われだった場合。
※美容師さんが働くモチベーションとか指名制とかは考えないでくださいね。あくまで例です。美容院を例に出したことに何の意図もありません。想像しやすいかなと思っただけです。
お客さんの需要に応えるのは、あくまでも美容院という店です。
しかしその行為は美容師によって供給されます。
お客さんと美容院との間に発生する需要と供給の関係に、美容院の内部にある「労働」と「雇用」という名の需要と供給の関係が差し込まれることになります。
更に、このときの洗髪で使用されるシャンプーを作っているメーカーを登場させましょう。
そのメーカーは「髪に潤いを」というお客さんの需要に向けて、製品を供給していると仮定します。
しかしその供給は「髪を潤したい」というターゲットに届くまでに、まず美容院に販売され、美容師がそれを使うというステップを挟みます。
こうなると、メーカーは「髪を潤したい」というお客さんの需要に応えるために、購入する美容院と、使用する美容師のニーズにも応えなければならないのです。
例えば。
お客様:髪に潤いを
美容院:安く買って経費を抑えたい
美容師:手肌に優しくて泡切れが良いのを使いたい
こうなると、シャンプーメーカーが供給するシャンプーのベストスタイルは「髪に潤いを与え安価で手肌に優しく泡切れが良い」ということになります。
本来なら「髪に潤いを与える」だけで良かったはずの供給が、需要に届くまでのルートによって求められるモノが多くなるのです。
もちろん世の中はこんなに単純ではありません。
あくまでも分かりやすい例としてのオハナシです。
さて、私たちの手元に届く多くのものは、それが製品であれ体験であれ情報であれ、ほとんどと言って良いほど複数の何かに「仲介」されています。
ということは、供給元からそれだけ多くの需要をクリアしてきたモノ、ということになります。
しかし、さっきのシャンプーの例で言えば、「美容院が安く仕入れること」も「美容師の手肌に優しいこと」も、お客さんが求める「髪に潤いを与えたい」という需要には全く関係ありません。
これは純粋な需要者にとってみれば、余計なものが付帯しているということに他なりません。
極端な言い方をすれば「無駄」があるということです。
そこで無駄を省いたシャンプーを、このメーカーが発売したとします。
安くないし、手肌に厳しいし泡切れも悪い。
でも髪に与える潤いは未だかつてないレベルの効果がある。
果たしてこの商品、長続きするでしょうか。
利益的に旨みの無い材料を使う美容院は減るんじゃないでしょうか。
手荒れがひどいシャンプーを使いたがる美容師が居るでしょうか。
相応の効果があれば、完全に無くなりはしないと思いますが、結局のところ市場の縮小は目に見えているように思います。
繰り返しますが、これはシャンプーや美容院を例に出しているだけで、我々の周囲にある多くの商品に該当する現象だと思います。
「仲介」があるからこそ、私たちの社会は成り立っていると言っても過言では無いのではないでしょうか。
それを「無駄」の一言で片付け、最終需要者に到達するまでの中間需要者をないがしろにするような方針は、視野の狭い愚かな手段だと考えます。
もっと長い目で見てください。
長期的に考えれば、中間需要者の重要性が分かるハズです!
だから「ユーザーのニーズを考慮した仕様変更に伴う製品の値上げ」という今回のこのカード、取り下げてくれませんか?
という話しで、どうにか取引先からの値上げ交渉を押し戻しました。
でもこれって本来は仕入部署がやる仕事じゃないの?
なんで私が駆り出されるのか。