どうも、坂津です。
原作ももう終焉ムードですし、ね。
仕方ないんですかね。
でも、実写映画化かぁ。
最大の課題は定春かな。
みなさんは写真について、どう思いますか?
元々「真を写したもの」という意味で名付けられた写真ですが、はてさて。
これだけ画像に関する技術が進んだ世界で、すでに写真は写偽でもあるし写作でもあるし写嘘でもあるし写夢でもあると思うんです。
別に名前を変えろとか、そんなケチなことは言いません。
でも、状態や様相を表すネーミングは永遠では無いんですね。
きっと「巻き戻し」という言葉が消えていくように、誰かが「この名前おかしくね?」と気付いたときから徐々にその名前は生命力を失っていくのでしょう。
「レンジでチンする」とか。
磁器テープを巻く必要の無いメディアが当たり前となり、温め完了の音が柔らかい電子音になり、使う人が居なくなったときに、言葉は死にます。
そうして死語が積み上がっていくんですね。
あれ、違うか。
名詞はなかなか死なない感じがしますね。
死語の大多数は形容詞や副詞、あとは固有名詞でしょうか。
一般的に広まって定着した名詞はかなりの生命力を持っていますね。
先ほどの写真もそうですし、新聞なんかも同じ感じですね。
いや、もしかしたら逆なのかな。
強い生命力を持った名前を付けられたモノが、長く残る。
例えその様式が変化したとしても。
こう考えると新商品なんかのネーミングが如何に大切か理解できます。
商品名って、大切なんですよー!
ねぇ、マクドナルドさーん!
話が逸れました。すみません。
写真が真を写して無いという件ですが、もちろん全ての写真がそうとは言いません。
しかし創りもの、紛いものが出回り過ぎている以上、写真に写っているものをそのまま鵜呑みにすることはできません。
写メを見て超期待して会った相手が完全に別人なんて、良く聞く話です。
美しく盛り付けられたメニューを見て注文したら無残な塊が出てきたとか。
ねぇ、マクドナルドさーん!
これだけ情報が氾濫している世の中ですから、その情報を受け取る側にも、その情報の真偽や価値などを見極めるスキルが求められますよね。
そろそろ嘘、偽、虚の情報を流した側だけが叩かれる時代は終わり始めています。
「そんなのに騙される方が悪い」
「なんで信じたの?」
「情弱www」
だなんて言葉があちこちで聞かれます。
今、ちょっとだけ使い捨てカメラが見直されてきてるらしいですね。
真実の一部分だけを切り取る、という写真の性質は変わらないですが、後から加工したり強調したり無かったことにしたりというデジタルな虚はありません。
無くならないで欲しいと思います。