あけましておめでとうございます、坂津です。
あなたには、人生の目的がありますか?
ビジネスマンであれば耳タコだと思いますが、こんな寓話があります。
あるところで、煉瓦を並べて積んでいる作業中の男が3人居た。
彼らにそれぞれ「何をしているのか?」と尋ねたところ、こんな返答があった。
A「煉瓦を並べてるよ」
B「生きてくために仕事をしてるんだ」
C「この先の川に橋を掛けるという歴史的工事に参加しています」
この話は、返答によって彼らの目的意識の差を表現しようとしています。
「Aの彼は数年後、何の成長も無くずっと煉瓦を並べる仕事をしてる」
「Bの彼は数年後、もっと稼げると思って他の仕事をしている」
「Cの彼は数年後、その意識の高さから更に大きな事業の現場監督になっている」
こんな解答が後に続くビジネス書がわんさか存在します。
私も日頃から部下に対しては「その作業はそれ自体が目的でも目標でも無く、単なる手段、行程でしかない。何をするにも、その先にある目指すべきものを意識しなさい」と口をすっぱくして言い聞かせています。
ちなみに、私が使い分ける「目的」と「目標」にはこんな違いがあります。
・目的
ゴールと言い換えても良い概念。
各個人が自分で設定するもの。
・目標
現在から目的まで続く道の途中にある通過点。
他人と共有しやすい。
これも多くの本で散々書かれている使い古された表現ですけどね。
で、冒頭の煉瓦積みの件ですが、この表現に私は意図的な貶めを感じるのです。
「AさんもBさんも、大きな目的意識を持っていないから成長しない」みたいな、無理矢理そういうこじ付けをしているように思うのです。
こんなふうにも、考えられませんか?
例えばAさんが「煉瓦を並べている」と回答したことによって、何のためにその作業をしているのか意識していないから成長しないとか、質の低い仕事しかできないとか、そう決め付けるのはオカシイんじゃないでしょうか。
Aさんは「煉瓦を並べること」に集中し、究極の煉瓦並べ職人を目指しているのかもしれません。
それだけに究極集中しているからこそ見えてくる世界もあるでしょう。
もしかすると、とにかく正確に積み上げる為には煉瓦の大きさに個体差があってはいけないので、煉瓦職人に対する要求が上がり、質の良い煉瓦を使用できるようになるかもしれません。
1ミリのズレも許さないために、より使いやすい水平器などの器具を開発するかもしれません。
Bさんは生きていくため、つまりお金を稼ぐために仕事をしています。
しかしそれを「金のために働いているやつは低レベル」と決め付けるのはオカシイと思います。
Bさんはお金を得るために必死で働きます。
もし仮に手を抜いたりして、それが発覚して減給なんてことになったら最悪です。
報酬に対する労働はきっちり行いますし、対価が支払われるならどんな仕事でも喜んで引き受けます。
また、自分の評価がそのまま対価に反映されますので、知識や技術の取得を怠りません。
Cさんは歴史的な一大工事に参加していることを誇りに思い、自分が積む煉瓦ひとつひとつが、後世の人々の交通を支えることになると思って働いています。
そこに、現場監督から「橋とは直接関係ないけど、道路わきの歩道の整備もやっといてくれ」と指示されたとします。
Cさんのモチベーションは一気に下がり、仕事は雑になり、手を抜き、きっと歩道はボコボコ状態になるんじゃないでしょうか。
もしくは「監督、その歩道の整備にはどんな大義があるんですか?橋の工事の手を割いてまで取り組むことなんですか?」と鼻息を荒げるかもしれません。
いかがでしょう。
きっとAさんやBさんなら、現場監督から歩道の整備を指示されれば、それが自分の仕事であるときちんと理解して、ばっちりやり遂げてくれるでしょう。
しかしCさんは身の程に余る目的を植え付けられてしまったことによって、本来の自分の立ち位置を見誤ってしまっているのです。
もちろん、上記の例は私が無理矢理にこじつけた、一般的でない意見です。
しかし目的意識というのは、個人が自分で見付けて設定することしかできません。
そしてその目的は、自分の人間的な器に入りきる大きさでなければ、正常に機能しないのです。
若いうちから自分の人生に目的を設定し、それに向かって生きて行くことが出来るひとは本当に少ないと思います。
私を含め、ほとんどの人は「目的を見付けるために生きる」んだと思います。
ちなみに私にはハッキリと明確な目的があるわけではありません。
とてもぼんやりしています。
方向性としては「人の役に立ちたい」的な感じなのですが、具体性に欠けます。
ただ、この目的をはっきりさせるための通過点として、いくつかの目標は持っています。
以前にも少し書きました。
「頑張りたい」という意識がある人が「頑張れる舞台」を用意する、それが私の目標の一つです。
今はこの目標に足る人間になるために自分の器を捏ね捏ねしている感じです。
きっと、登ってみて初めて見えてくる景色もあるでしょう。
山のふもとから「あそこが山頂だ」と思って登り始めて、もしかしたらそれは一つの山ではなく連峰で、もっと高い頂が見えてくるかもしれません。
当初目指していた場所にこだわって、そこをゴールに定めるのも良いでしょう。
新たに見えた頂を目指して目的を更新することもアリです。
私の一番の理想は「目的にしていた場所に辿り着きそうになったら、いつの間にかそれは目標になっていて、その遥か先に新たな目的が現れる」を繰り返すことかな。
一昔前までは上記の目標も、実は目的だと思ってましたしね。