『かなり』

干支に入れてよ猫

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過剰防衛は罪

どうも、坂津です。

大抵のものごとには二面性があります。

いや、二面どころではありませんね。

多面性があります。

 

例えば『鉄アレイ』を見たときに。 

筋肉「鍛えるのに必須だよな」

犯人「これで背後からガッて」

母親「子供に危なくないかな」

業者「いっぱい売れれば良い」

大和「側頭部の装備品だよね」

 

例えば『ういろう』を見たときに。

ほうえい堂 ひとつった外郎「ういろう」12本
 

主婦「お茶受けにしようかな」

羊羹「仲間と思って良いのか」

子供「違うおやつが食べたい」

小林「完成品とは認めない!」

片桐「認めない!」

 

立場や経緯、状況が異なれば、それに対する意見や価値観はまるで異なります。

 

今の世の中、この『多面性』に対してかなり広い範囲での『予防線』が必要とされます。

とあるニーズに対して良かれと思ってリリースされたものが、予想外の方角から一斉射撃を受けることがよくあります。

 

そういう場面に遭遇するたび、とても悲しい気持ちになります。

『誰かを攻撃していないと精神の平穏が保てない』人たちの存在が浮き彫りになって。

もちろんそーゆー人たちがごく少数で、単に声が大きいために悪目立ちしているだけだというのは分かっているのです。

単なるノイジーマイノリティだと。

でも、その攻撃の的にされてしまった方が可哀相でなりません。

 

価値感は人それぞれで、万人に漏れなく受容される物事など有りはしません。

必ず反対派は存在し、いつどのタイミングで何に対して自分が反対派になってしまうか分かりません。

自分の経験や思想から、断じて許容できない物事に直面することもあると思います。

 

しかし、そのときによく考えて欲しいのです。

 

地面に叩きつけられたスーパーボールのように一瞬の躊躇も無く跳ね返るのではなく、まず深呼吸をして落ち着いて欲しいのです。

次に自分とは反対の意見、つまりその物事に対する許容派の存在を思ってください。

『これを求めている人が居るんだろうな』

『これで救われる人達も居るんだろうな』

『少なくとも発信者はそう思ってるよね』

 

そして自分が振りかざしている手を確認してみてください。

その物事を叩くために用意した正当性やルールは、本来身を守るための防具だったはずですが、それがいつの間にか鋭利な刃物に変わっていませんか?

鋭いトゲのついた凶悪な鉄球に変わっていませんか?

 

落ち着いて、よ~く考えてみてください。