『かなり』

干支に入れてよ猫

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レジ袋をゴミと言う奴がゴミ

どうも、坂津です。

スーパーやコンビニなどでレジ袋が有料化されて5日。

どこのお店でもスタッフさんが申し訳無さそうに「袋が有料なんですけど、どうしましょう?」と尋ねてくれます。

ただでさえ大変な仕事なのに余計な工程が増えて本当に可哀相。

特にコンビニのレジ業務なんてこの世に存在する一般的な仕事の中で最高レベルに困難な業務なのに。

 

商売ってのは売り手と買い手の双方が同じ立ち位置なことが基本です。

どっちが上とかありません。

もちろん売り手側には『お客様は神様です』という言葉が存在し、それはある意味で正しい表現です。

しかし神と人でさえ持ちつ持たれつgive and takeが大原則です。

人を軽んじ一方的に荒ぶる神は人から信仰されなくなり、やがて存在強度を低下させ、消滅してしまうのです。

つまり『それが神であるかどうかを決めるのは人』ということ。

同じく『彼の人が客であるかどうかを決めるのは店側』ということなのです。

 

行きつけのコンビニに入ったら、レジで大声を上げているおじさんが居ました。

聞き耳を立てずともその内容が把握できました。

どうやら自分が買った商品に対してレジ袋が大き過ぎるというイチャモンのようです。

サイズによって3円と5円の袋を用意しているこのお店で、3円の袋に入るであろう商品を5円の袋に入れ5円を請求するというのは押し売りであり詐欺だと喚いています。

レジのおばちゃんは申し訳ありませんと謝罪しつつ3円の袋に商品を入れ替えて差額の2円を返金すると言いますが、おじさんの理不尽な怒りは収まらないご様子。

詐欺を働こうとしたのにバレたら謝って返金で済むと思ってるのかと恫喝。

どこの世界に『2円の売上』の為に詐欺を行う人が居るでしょうか。

完全な言い掛かりだし、どちらかと言えばおじさんの方が当たり屋的な詐欺師に見えてしまいます。

そしてそのおじさんは、決して言ってはならない禁句中の禁句を、言ってしまったのです。

 

「そもそもこんなゴミみたいなモンを5円で売るのが間違ってる」と。

 

あまりメジャーではないですし、日常的に気にすることもない業界だとは思いますが、製袋せいたいという仕事があります。

読んで字のごとく、袋を製造加工する業界。

包装資材と呼ばれる、段ボール箱から食品容器、ビニール袋に至るまでの『主となる商材を販売、運搬するために必要な外側の資材』を扱う業界の中でもメインとなる製袋業。

そんな彼らが朝から晩まで頑張って作って売ってる製品を『こんなゴミ』と言ったのかおじさん。

 

「失礼。あなたは包装資材店でレジ袋を購入したことがありますか?このサイズの袋で店名の印刷もしてあるものが1袋5円、決して高くありません。レジスタッフが袋入れまでをしてくれていることを考えれば逆に5円でも安いし店側に利益なんてありませんので詐欺と言うには無理があります。そしてこの袋をゴミだと言うのであればどうぞ袋無しでお買い上げの商品を両手で持ってお帰りください。何往復しても構いませんし何なら家から持ち運ぶ用の袋を持って来ますか?」

「べ、別にそういう意味で言ったんじゃなくて、小さい袋で入るのに大きい方を使ったから・・・」

「それについてはこちらのスタッフさんが謝罪及び3円の袋への入れ替えと返金を提示していますがあなたはそれを拒否していますよね?なぜですか?本来ならばあなたの言い掛かりなど受け入れる必要は無いと私は思いますがこちらのスタッフさんはとても誠実に対応してくださいましたよ?何が気に入らないんです?」

 

結局おじさんは小さい袋に5~6本の500mlペットボトルと、サンドイッチ2~3個、おにぎり複数個をピッチピチに入れてもらいました。

ペットボトルがサンドイッチとおにぎりを押し潰しているのが袋の外側からも分かります。

悪行に対する罰がささやか過ぎる気もしますが、精々自分の行いを反省しつつ、潰れたサンドイッチとおにぎりを食べるが良い。

 

 

マキネッタって知ってる?

どうも、坂津です。

息子を寝かしつけたあと、妻がミキサーのような形状の家電製品を取り出してきました。

そして私に問い掛けたのです。

 

妻「旦那よ、このマキネッタをご存知か?」

私「初耳だが我が経験から類推してみよう」

 

私たちは未知の言葉を見聞きしたとき、手持ちの知識からそれの意味を推測することができます。

例えば『鮃』という字が読めなくても、魚へんに平という構成であることが分かれば『ひらべったい魚かな?』と予想することができ、さらに『それならカレイとかヒラメ…平だからヒラメかな?』と連想することが可能です。

 

さて、マキネッタ…語感的に欧風な雰囲気だ。

恐らくは『マキネ』と『ッタ』に分割できるはず。

語尾の『ッタ』は置いといて、頭の『マキネ』に似た欧州っぽい言葉で最初に思い付くのが『マキア』だ。

確かギリシャ語で『戦』という意味だったか。

ということは目の前のこれは兵器?

ギリシャ神話に登場する神々を屠った古代兵器が我が家に?

 

私「私に神殺しの名を背負えと言うのか?」

妻「どうしてそうなった。分かんないの?」

私「しばし待たれよ。兵器では無いんだな」

妻「どう考えてもその答えには辿り着かぬ」

 

つまり『マキネ』は『マキア』じゃないということ…ではラテン語の『マキナ』ならどうだ?

『マキナ+ッタ』で『マキネッタ』なら十分に考えられる。

ラテン語で『マキナ』は機械という意味だ。

英語のmachine(マシーン)の語源と聞けば納得できるだろう。

 

私の記憶が確かならば、イタリア語は単語の後ろに『ッタ』と付けることで『小さい』とか『かわいい』という意味を付加するはず。

ということは『マキネッタ』はイタリア語であり、意味は『小さい機械』もしくは『可愛い機械』ということに。

 

私「ふふふ、答えに辿り着いてしまったよ?」

妻「ほほう、では聞こう。マキネッタとは?」

私「イタリア生まれの小さい可愛い機械だ!」

妻「あ、うん。何する機械か聞いてんだが?」

私「そんなこと知るもんか」

 

 

 

我慢しないのが大人

どうも、坂津です。

『大人なんだから我慢しなきゃ』って思想に、縛られていませんか?

私たちはいつの間にか『我慢する=大人、我慢しない=子供』という固定観念に縛られ、あたかもそれが真実であるかのように言い聞かされてきました。

 

果たして本当にそうだろうか?

 

本当は誰だって我慢なんかしたくなくて、だけど我慢するしかない状況で、我慢することしか無い自分の自尊心をどうにか保つため『大人だから我慢できる』と自分に言い聞かせてるだけなのでは?

 

本当は、子供の頃にはしたくてもできなかった、それこそ我慢する以外に方法が無かったことが、大人になったら何だってできる。

なぜそれを、まるで『大人になればなるほど我慢しなきゃいけないことが増える』みたいに考えてしまうのか。

我慢する必要なんかない。

やりたいならやればいい。

大人になって増えたのは我慢の機会ではなく、出来ることの選択肢だ。

子供の頃にやりたくても絶対にできなかったことが、大人になった今なら簡単にできる!

 

躊躇う必要などまるで無い!

心のままに思う存分思い切り!

お口いっぱいに食べるが良い!!

 

フィリックスガムを!!!

 

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1カートン60個入りを大人買い

これはお子様には絶対に真似できない悪魔の所業!

私は声を大にして言う!

我慢しないのが大人の証拠ッ!!!