『かなり』

干支に入れてよ猫

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爪の表面が剥がれる二枚爪でお悩みの方へ

どうも、坂津です。

いつの頃からかそれが当たり前になっていて、特にそれを不思議には思わない。

少しだけ感じる不便さや不満も、それを我慢すると表現するほど大層なものではない。

そう思っていました。

 

爪を切ったあと、必ずこうなるんですよ、私。

 

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薄ぅ~く、爪の表面が剥がれてしまうんです。

この状態になって、その破片を除去するまでが私の爪切りなのです。

こーゆーの『二枚爪』って言うらしいですね。

 

さて、この『二枚爪』ですが、爪切りの直後に発生すれば問題無いんですけど、数時間後、もしくは翌日とかに起きるんですよね。

しかも無自覚に。

 

で、特に気付かないまま剥がれて取れてしまえば良いんですが、往々にして『痛みを伴う気付き方』になるんです。

 

例えば洗髪中に頭皮を傷つけたり、背中が痒くて掻いたら切り傷になったり。

自分だけならまだしも、妻と戯れているときに「痛ッ!」と言われたり。

 

でも『二枚爪』は体質だったり老化だったりで、抗いようの無い自然現象なんだと思っていました。

冒頭でも言いましたが、それが当たり前になっていたので。

 

しかし。

 

私たちの『当たり前』はいとも簡単に、ほんの小さなキッカケで崩れ去ることがあります。

 

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ふとした思い付きで、つめきりを新調したのです。

なんだかものすごく高級感のあるパッケージ。

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背面にはこれがどのくらい逸品なのかを所狭しな文章量で説明しています。

でもそんなに高くない。

匠の技 ステンレス製高級つめきり Lサイズ G-1201

匠の技 ステンレス製高級つめきり Lサイズ G-1201

 

 

今まで私が使っていたつめきりとの違いは、最初のカットで充分に実感できました。

 

なんと表現すれば伝わるのか非常に難しいのですが、イメージを擬音で表してみようと思います。

 

爪を切るとき

1.柄の部分を押して刃先が爪に当たり

2.刃が爪の表面に食い込み

3.爪が切れて上下の刃がぶつかって音が鳴る

 

あの刹那に、これだけの音が詰まっていると思ってください。

 

■今までのつめきり

ギシィ・・・

ガッ・・・

バチンッ

 

■匠の技

スッ・・・

サクッ・・・

カッ

 

伝わりますでしょうか?

 

爪を切るという行為が、つめきりの性能だけでこんなにも激変するとは思ってもみませんでした。

そしていつもの『二枚爪』が、まさかつめきりを変えることで解消されるとも思っていませんでした。

 

やっぱ良い物は良いんだなぁ。

とりあえずやってみよう

どうも、坂津です。

人間には五感というものがあります。

『視覚』『聴覚』『触覚』『味覚』『嗅覚』がそれです。

私たちはこの五感を通して世界と繋がっています。

 

さぁ。

 

メタフィジカル的な意味での『私』という存在と、五感を伝達する機器としての肉体を有したフィジカルな意味での『私』という存在を想像してみてください。

 

噛み砕いて言えば、視覚的に何かを見て映像情報を受信するのが『フィジカルな私』であり、それに対して可愛いとか面白いとか何らかの価値観を伴った判断を下すのが『メタフィジカルな私』です。

 

『フィジカル=物理学的』『メタフィジカル形而上学的』と表現した方が分かりやすいでしょうか。

 

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この図で言えば矢印がフィジカルな『感覚』で、雲型がメタフィジカルな『感想』です。

 

さて、感覚器官が受信する信号を、自分の意思で変更することは大変難しいことです。

美味しくない食べ物を美味しいと思い込んで食べることや、痛い刺激を痛くないと思い込んで我慢することなどは、特殊な訓練を積まなければ無理でしょう。

しかし、そこから先の『感想』の部分について、私たち人間の精神構造は意外とフレキシブルにできています。

 

つまり、不味いものを食べたときにそれを美味しいと感じることは困難でも『うっわコレまっず・・・最悪・・・』とか『これは不味い!よしブログのネタになる!』とか、その感覚についてどのような感想を持つかは自由なのです。

 

そして重要な真実をひとつ。

 

それは『私たちの世界は、私たちの感想によって構築されている』ということです。

 

しかし私たちはフィジカルな知識ばかりを先行して学びました。

それによって『私』と『世界』を個別に考えるように刷り込まれています。

故に私たちは、『私』が存在しようと存在しまいと『世界』はそのものとして在り続ける、という考え方を常識として持たされてしまっています。

これは別に悪いことではありません。

『私』とは別に『他者』という存在を肯定し、『私』と『他者』とで構成される『社会』を円滑に回す為には必須の概念です。

しかし何事にも加減というものがあります。

あまりにもフィジカル先行が過ぎると、副作用が発生してしまいます。

 

その副作用とは『私と世界の乖離かいり』です。

 

本来『私たちの感想によって構築されている』はずの世界に対し、『私』の影響が及ばない独立した絶対的存在として認識してしまうということです。

 

つまり『世界とはこういうもの』という思い込みが発生するというわけです。

この『副作用=思い込み』に取り憑かれてしまった人は、世界の在り方を固定してしまうのです。

しかも性質タチが悪いことに「そうじゃないよ」「世界はもっと自由だよ」という他者からのアドバイスも含めて固定化された『世界』なので、この副作用の解除は容易ではありません。

 

ただしひとつだけ、この状況にも特効薬と呼べるものがあります。

 

それは『じゃなかった経験』です。

 

いわゆる「思ってたより悪くなかった」的なアレです。

食わず嫌いと言った方が分かりやすいでしょうか。

ともかく、何か行動を起こす前にアレコレと『やらない言い訳』を先に立てるのではなく「まぁとりあえずやってみよう!」という精神で諸々に臨むことが、なにより効果的なのです。

 

と言うわけで、私はこの世界を前向きに捉え楽しむために、思い付いたことはどんどんやってみる所存であります。

 

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いやぁ・・・

 

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やっぱコレは無ぇな。

頭部は別売り

どうも、坂津です。

昨日の記事でスーパーリアルなデッサン人形を買ったったと書きました。

でもよくよく考えたら、私が欲しかったのはあーゆー扇情的なエロいやつじゃないんです。

もっと関節のジョイントとか見えてて良いので純粋にポーズをキメられるだけのシンプルなやつが欲しいんです。

なのにアレを買った履歴があるばかりに、Amazonさんが私にオススメする商品がものすごい偏りを見せています。

 

そんな中に、こんなのを発見しました。 

おお。

こんな可愛らしいのもあるのか。

よく考えたらデフォルメ描くの苦手なんだよなぁ。

こーゆーのがあると捗るのかなぁ。

 

と言うわけで。

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買ったった。

 

と思ったらッ!!!

マジか!

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頭が無えぇぇぇーッ!!!

これも頭部は別売りなのかぁぁぁー!!!

(もちろん確認せずに買った私が悪いのです)

 

完全にテンションダウンした私はとりあえず素体をビニールから出しました。

すると。

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ん?

この足の裏のシルバーは・・・まさか?

 

そう、マグネットなのです!

そういうことか!

つまり台座がスチールならば・・・

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こんな無理な体勢でも倒れない!

これはすげぇ!

 

さっき落ちたテンションがすぐに復活します。

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神砂嵐を発動させるほどに。

 

そして勢い余って。

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買ったった。

Amazonさんホント便利。 

ポチったら次の日には届くんだもんなぁ。

 

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やっぱ頭があると違うなぁ。

コレでようやく完成って感じ。

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マグネットパワーで片足立ちも余裕だし。

ただひとつ、頭が無いときには可能だった後ろ体重が、頭が重すぎて倒れちゃうんだな。

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そのための支柱パーツも同梱されてるので問題無いけども。

 

さぁ、ようやくこれでお絵描きができるぞ~。