『かなり』

干支に入れてよ猫

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オークはゴブリン

どうも、坂津です。

私たちが日常的に扱う言語には『文字で見るから分かるけど、耳で聞いたらちょっと「ん?」となってしまう』ようなものが割と存在しています。

逆に『耳触りもリズムもテンポも良いけど、文字ではめっちゃ読みづらい』ようなものもありますね。

つまり、自分が発信するメディアがどんなものなのかを自覚し、それぞれに合った言葉を選んで使わなければなりません。

 

例えば

 「そんなことじゃ永久にB級のままだぞ」

というセリフ。

文字で読めばすんなりと意味が頭に入ってきますが、音声のみで聞いたらたぶん(ん?)となると思います。  

他にも

「飛行機に乗り込む暴徒」

って聞いたら一瞬(は?)ってなると思います。

また

「そんな政府、完全にアウトだろ」

なんて言葉も(ナニ言ってんの?)って思っちゃうかも。

あと

「敵の多くはゴブリン」

なんて言葉も、音声で伝える場合には表現を変更した方が良いでしょう。

こういうのは同音異義語が認識阻害の一因となっているので、使用する言葉を類語に変換するだけで簡単に問題を解消することができます。

 

例えば上のセリフだと

「敵の大半はゴブリン」とか

「敵のほとんどはゴブリン」とか。

でもコレはセリフ(音声)だからこそ改善した方が良いということ。

文字列として見た場合

「敵の多くはゴブリン」と

「敵のほとんどはゴブリン」では

上の方が字面が美しく、また読みやすいですよね。

『ほとんど』を『殆ど』と表記しても良いですが、読者の可読性を下げてしまい兼ねません。

 

自分が発信する情報を、相手がどのように受け取るのか。

それを意識しながら情報の形状を推敲したいものですね。

 

 

ひゃっくまーん!

どうも、坂津です。

 

今週のお題「100万円あったら」

 

思い返せば子供の頃、小銭を握りしめて駄菓子屋やおもちゃ屋へ通っていた私。

今でもあるんですかね?

20円のガチャガチャ。

十円硬貨を2枚投入してノブを回すと、ウズラの卵より一回り大きいくらいのカプセルが出てきて、中には自動車とか恐竜の形をした単色(赤、青、黄、緑などの原色)の樹脂塊が入ってるんです。

そのガチャをやるか、モロッコヨーグルを買うか、めっちゃ悩んだなぁ。 

この当時の私がもし100万円を手にしたとしたら・・・。

さすがにガチャを5万回、モロッコヨーグルを10万個なんて買い物はしなかったと思いますが、途方も無い金額過ぎて価値が分からず、両親にあげちゃったかも知れないですね。

 

ちょっと成長して中学生の頃。

お年玉やら何やらを掻き集めて推し活していた日々。

推し活なんて言葉が生まれる遥か昔から、私たちは推しを応援していたのです。

手にしたお金の全額は、林原めぐみ関連(楽曲CD、出演作品VHSなど)へと姿を変えておりました。 

この当時の私がもし100万円を手にしたとしたら・・・。

間違いなく、全投入したでしょうね。

泣く泣く購入を見送った作品がどんだけあったか。

メインの出演作品をコンプするだけで100万円なんてすぐ溶けたと思います。

 

時が進んで大学時代。

寝ても覚めても延々とTRPGに明け暮れた日々。

あの頃は2徹3徹あたりまえでセッションを重ねてたなぁ。

この当時の私がもし100万円を手にしたとしたら・・・。

たぶんね、ホテルか旅館かの大部屋を3日くらい貸切にしてTRPG大会を開催したと思います。

TRPGの何がしんどいかって言うと、祭りの後なんですよね。

寝てなくて朦朧とした意識の中で部屋を片付けて掃除するのが何とも苦痛でした。

またセッション中は睡眠を食事で補完するのでみんなとにかくよく食べるんです。

もちろん気を付けてはいますが、やっぱり食べこぼしとかありますし。

そんな後片付けをしなくて良いという完全自由な状況で心底TRPGを愉しめる状況を作るべく、100万円を使ったことでしょう。

1人1泊1万円×3日間×15人=45万円(5人1卓で3卓囲める)

あ、これ2回開催できるやつ。

 

ってな感じで『いつの私』が手にするかによって、100万円の価値はガラッと変わります。

ちなみに今だったら普通に貯金して、息子が楽しめる何かにちょっとずつ使うでしょうね。

トミカプラレールを集めたり、鉄道博物館に行ったり。

あと妻が買うのを躊躇ってる美顔器とかエクササイズ機器とかがあればそれも。

 

こうやって考えると、自分自身の変化をすごく実感できますね。

たかが100万円、されど100万円、欲しい100万円、100万円欲しい、ください。 

偶然?なんか怖いんだけど。

どうも、坂津です。

けたたましいサイレンの音が聞こえました。

私はすぐに消防の出動記録を調べます。

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ほほう。

踏切付近?

この住所付近の神社は息子の遊び場としてもよく利用させてもらうとこだし、列車事故とか大事じゃなきゃいいけども。

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うわ、人身事故かよ。

 

と思って何気無くこの路線付近のことを検索していたら。

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事故が起きる3時間半前に公開された記事を発見。(毎日新聞

 

記事によれば線路の踏切の無い場所を生活道路的に渡る人が後を絶たないとのこと。

まさか「言ったそばから」ってやつ?

 

こういうとき、つい考えちゃうんですよね。

『もしこの記事(ニュース)が世に出ていなければ、この事故は起こらなかったのでは?』

なんてタラレバを。

 

観測者が不在の世界には何者も存在しない、となれば逆に、観測者の存在は森羅万象に影響を与える要因とも言えるのではないか。

つまり『誰かが話題に出したという事実がバタフライエフェクトよろしく事案に繋がった』と。

 

知らんけど。