『かなり』

干支に入れてよ猫

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型をしっかり身に付けていないと型破りなことはできない

どうも、坂津です。

仕事のドタバタとプライベートのナンヤカンヤが重なってピンチです。

 

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基本的にはどんなに体調が悪かろうが、感染症などで無い限りは出社する私が、ちょっと今週はヤバい感じです。

初めて有給休暇というやつを使ってしまいます。

 

というのも、私の可愛い可愛い甥っ子に弟が生まれるのです。

来月の予定だったのですが妹の容体が急変し入院。

里帰り出産ということで甥っ子ともども実家に来ていたのですが、妹が入院ということは甥っ子の面倒をみないといけません。

それは本来、妹の(私の)両親の役目なのですが、しかしここで母が入院。

 

どちらも大したことではないのですが、しかし人員が無くなってしまいました。

母に父を充てるとして、甥っ子をどうにかしないといけません。

妹の旦那さんは毎週末、実家に来てくれているので無理は言えません。

 

そこで私の出番というわけです。

 

ただ、今週は平日が少なく業務が圧迫されているので、私も全日ずっと体を空けるのは厳しそうです。

そこで妻も動員し、どうにかこうにかやりくりすることになりました。

 

坂津「・・・というわけで、すまないが今週はほとんど社内に居ないと思ってくれ」

加納「かしこまりました。まずは火曜、水曜、金曜の課長の予定を教えてください」

坂津「こっからここの案件が出荷になるのと、このファイルが製造状況の確認」

加納「あとはコレの発注書をお客様に確認と、この原稿の差し替えですかね」

坂津「そうそう(相変わらずすごいなこの子)」

加納「以降、課長宛てのメールは僕が処理しておきますね」

坂津「ありがとう。助かるよ」

加納「判断が必要な場合はお電話しても大丈夫ですか?」

坂津「ああ、病院に居るからすぐ出られないかもしれないが、掛け直すよ」

 

こういう時の加納くんは本当に助かります。

川尻浩作に成り変わった吉良吉影を見てトキメク川尻しのぶの気持ちです。

すみません、分かりにくいですね。

 

加納「もし差し支えなければ、お母様と妹さん、ご実家の場所を教えて頂けますか?」

坂津「ああ、構わないが。どして?」

加納「課長の事ですからきっと、会社とご実家と病院を往復されるでしょう?」

坂津「ああ、必要があれば動こうと思っているよ」

加納「ではこれが最短ルートです。ただ夕方の渋滞時はこの抜け道を使ってください」

坂津「加納くん、出来過ぎてキモいよ」

加納「ありがとうございます。褒め言葉として記憶しておきます」

 

ああ加納くん、私のあとを継げるのは君しかいない!

私が次のポストへ昇進する時には加納くんを課長職に推薦しよう!

業務経験がナンボのもんじゃい!彼ならできる!任せられる!

本当は会社と病院を出たり入ったり超絶忙しくなることを覚悟していたのですが、加納くんのおかげで思ったよりも楽ができそうです!

 

こうして私は安心して甥っ子と入院中の妹の面倒をみることができることになりました。

 

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「はいはい、何だい?」

加納「本日出荷の案件ですが、台風の影響もありますので着荷が遅れる旨をお客様に連絡しようと思いますが、よろしいでしょうか」

坂津「それは良い気配りだね。ありがとう。是非とも連絡してくれ」

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「はいはい、何だい?」

加納「雨が激しいので自転車置き場の自転車が濡れるという件ですが、ビニールシートを購入して対応してもよろしいでしょうか?」

坂津「あ、うん。良いんじゃない?経理に聞いてみな?」

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「おう。どーした?」

加納「本間先輩から課長のお休みの理由を問われましたが、そのまま答えて良いでしょうか?」

坂津「別に構わないよ。どうせブログ読むだろうし」

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「え、何?」

加納「本間先輩と桐谷さんへの年貢は課長の引き出しから納めておけばよろしいでしょうか?」

坂津「あ、うん。そうして。ありがとう」

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「あいよ」

加納「昼休憩の時間を変更したいのですが」

坂津「良い感じにしといて」

 

加納「もしもし加納です。坂津課長、確認させていただきたいことが」

坂津「ん~」

加納「お休みの分の掃除当番を入れ替えて・・・」

坂津「適当によろしく」

 

 

やはり経験は必要でした。

 

加納くんは教えたことは出来る子です。

1を聞いて10を知るという言葉がありますが、そんな奴が居ないことはよく分かっています。

加納くんは教えたところまでを充実にミス無くやってくれる有能な新人です。

しかし業務における判断は経験値が物を言います。

 

「適当にやれる」というのは、その物事についての全容を把握しているからこそできることなのです。

10まで知っているから、「コレは3程度で良いな」という判断ができるのです。

 

今週は出たり入ったりのめまぐるしい一週間になりそうです。

敬老の日だからという訳じゃないけど死んだじいちゃんのことを思い出してみた

どうも、坂津です。

人にはそれぞれ、ルーツというものがあります。

家計図が存在するような由緒正しきお家であれば、きちんとルーツを辿ることもできるでしょう。

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しかし坂津家にはそんなきちんとしたアイテムは存在せず、私がやんごとない身分であることを証明するものもありません。

ですから、私が認識し得る私のルーツと言えば、私が直接知っている両親と、その両親ということになるのです。

 

私の母方の祖父は、その地域でも有名な変人でした。

しかし東風間厳蔵(こちま ごんぞう)は私にとっては非常に優しい、大好きなおじいちゃんでした。

晩年、痴呆が進んだときでさえ、私が目の前に居るときだけは平静を保ってくれていました。

厳蔵じいちゃん、略して「ゴンジイ」という呼び名も、私が付けたものでした。

 

ゴンジイが語る戦争の話が大好きでした。

大戦の悲惨さを体験しているはずのゴンジイですが、おそらくは子供向けにグロテスクな部分を割愛して説明してくれていたからでしょう。

今ではその気遣いも理解できるのですが、当時子供だった私はもっともっととねだるばかりで、ゴンジイも大変だったことでしょう。

 

そんなことを、ゴンジイの遺影を見ながら思い出していました。

語ってくれた色々な昔話も、徐々に思い出されてきます。

戦時中は敵国の言葉を使ってはいけないというので、色々な道具をヘンテコな名前で呼ばなければいけなかったこと。

 

「佳奈よ、ラッパをなんと呼ぶか、分かるか?」

「ラッパはラッパでしょ?」

「戦争中はな、英語を使ってはいけなかったんじゃよ」

「えー、ラッパも英語なの?」

「それはワシにも分からんが、とにかくラッパと言うてはいかんかったんじゃ」

「じゃあ何て言ってたの?」

「真鍮曲金音響発生器(しんちゅうまがりがねおんきょうはっせいき)」

「変な名前ー!!」

 

こんな感じで、様々な道具や部品の和式名称を教えられました。

 

ネジ=螺(ら)

ドライバー=柄付螺回し(えつきらまわし)

アクセル=走行踏板(そうこうふみいた)

ブレーキ=制動踏板(せいどうふみいた)

マッチ=木製箱型側面当擦火花発生器(もくせいはこがたそくめんあてこすりひばなはっせいき)

 

なんだか嘘っぽいものばかりですが、いまだに覚えています。

 

懐かしさと寂しさをブレンドしながら、ゆっくりと記憶を掘り起こしていきます。

 

突然、ひとつの話を思い出しました。

今まですっかり忘れていたことが信じられないようなスゴイ話です。

嘘のような内容ですが、確かにゴンジイがそう話していたという記憶が鮮明に蘇りました。

それはこんな話でした。

 

 

フィリピンかそこらの、小さな島での出来事だったと聞いています。

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ゴンジイは斥候(せっこう  敵軍の動静・地形などをひそかに探り監視するために、部隊から差し向ける兵)として、部下5人を率いる班長だったそうです。

島の北側から上陸した日本軍は砂浜と密林の境目付近に前線を置き、ゴンジイたちを斥候として送り出しました。

すでに敵兵が潜んでいては、この島を基地にすることが出来ません。

地図はすでに入手できていて、島の南側にも上陸可能な海岸がありそうだったので、敵兵の存在は五分五分だろうという状況だったらしいのです。

 

兵A「班長殿、敵兵はおりますかね」

厳蔵「居たら居たとき、居なかったら居なかったとき、だな」

兵B「それを調べるための我らだろう、ということですな」

厳蔵「そうそう」

兵C「しかし、蒸し暑い島ですな」

兵D「水浴びでもしたい気分だ」

厳蔵「あ、するか?水浴び!」

兵E「は、班長、それはさすがに・・・」

厳蔵「いやいや、そこに川があるし、皆脱げ!ほら早く!」

兵E「しかし・・・偵察の任務が・・・」

厳蔵「お前、ワシらはこのあとすぐ死ぬかもしれんのだぞ?悔いなく生きるんなら今すぐ水浴びだ!」

兵達「はい!!!」

 

こうしてゴンジイと部下5人はその場で装備と軍服を脱ぎ捨て、全裸で川に飛び込んだそうです。

戦時中ですし、風呂など何日も入っていない状況での水浴びは天にも昇るほど気持ちよかったそうです。

全員が「今ここで死んでも悔いは無い」と思った次の瞬間・・・

 

ヒュー・・・ルルルルル・・・・

ドッぐぁァァーン!!!

 

空爆されたそうです。

 

ゴンジイは裸のまま全力疾走しました。

自分がどっちに向かっているのかも分からないまま、とにかく全力で走りました。

 

視界の端に吹っ飛ぶ部下や装備が映っていましたが、振り返ることも立ち止まることもせずとにかく走りに走ったのです。

 

そして幸運なことに海岸線と、日本軍の前線が見えました。

ゴンジイは全速力を維持したまま前線まで走り、そして前線を通過しました。

 

上官「お、おい!東風間!貴様何を・・・」

 

上官の叫びにも止まることなく快走を続けたゴンジイはやがて海にたどり着きました。

そのままの勢いで飛び込むのと、更なる空爆が前線本部を破壊するのは同時だったそうです。

 

伝聞なので位置関係は良く分からないのですが、とにかくゴンジイが助かったのは走るのをやめなかったからだと、強く言っていました。

 

そして最も印象に残っている言葉は

「その空爆でその島に上陸したやつはワシ以外みんな死んだ」

でした。

 

この話を聞いた当時は「ゴンジイかっこ悪い」と思いました。

もしかしたら大好きなゴンジイの格好悪い姿を忘れたくて、今まで思い出すことが無かったのかもしれません。

 

しかしよく考えてみれば、そのときゴンジイが全力で逃げていなかったら私は今ここに居ません。

もしかしたら水浴びしていなかったら班員は助かったかもしれませんが、それはタラレバなので考えてもどうしようもありません。

本当に全滅したのかどうかも怪しいものですが(どうやってゴンジイが帰ってきたのか説明できませんし)今となっては確かめようもありません。

 

今は、ゴンジイが自分の命を大切にしてくれたことを嬉しいと思います。

もしかしたら当時は非難されるとか、何かあったかもしれません。

でもそうして拾った命が繋がっているということはとてもすごいことだと思います。

そしてその話を愉快な感じでワハハと笑いながら話せるゴンジイは、やっぱりすごいと思います。

 

そのゴンジイのDNAが私にも1/4ほど入っているということが、嬉しいのです。

【涙無しでは語れない】本当に在った奇蹟の話【実体験】

どうも、坂津です。

皆様は「月の兎」をご存知でしょうか?

セーラームーンだと思ったそこのあなた!違いますよ!

でも思考回路が同じなので友達になりましょう。

 

違います!これですよ、コレ!

の3匹が、山の中で力尽きて倒れているみすぼらしい老人に出逢った。3匹は老人を助けようと考えた。猿は木の実を集め、狐は川から魚を捕り、それぞれ老人に食料として与えた。しかし兎だけは、どんなに苦労しても何も採ってくることができなかった。自分の非力さを嘆いた兎は、何とか老人を助けたいと考えた挙句、猿と狐に頼んで火を焚いてもらい、自らの身を食料として捧げるべく、火の中へ飛び込んだ。その姿を見た老人は、帝釈天としての正体を現し、兎の捨て身の慈悲行を後世まで伝えるため、兎を月へと昇らせた。月に見える兎の姿の周囲に煙状の影が見えるのは、兎が自らの身を焼いた際の煙だという。

月の兎 - Wikipedia

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他者への献身を試された三匹の獣ですが、これが現代社会の人類だとしたらどうなるでしょうか?

助け起こすどころか、近寄る者も居ないかもしれません。

そんな世知辛い、冷めきった、情け容赦ない、寒風吹きすさぶこの社会の中でも、特に非情で冷視線の行き交うインターネット世界。

 

すみません。

言い過ぎました。

 

いやしかし、騙し騙されディスりディスられが横行する厳しい世界であることは疑いようも無い事実です。

 

今回ご紹介させていただくのは、そんな過酷なネット世界で私が出会った奇蹟。

本当にあった奇蹟のお話です。

 

 

わたくし坂津は、イラストを描くことが趣味のひとつであります。

下手の横好きというのは厄介なもので、身の丈を知っているにも関わらず行為そのものが好きだから辞められないという不幸な体質です。

 

昔はパソコンなんてありませんから、紙と鉛筆でガリガリと描いておりました。

三つ子の魂百までというのは使用法が違う気もしますが、紙と鉛筆で描くという手法はパソコンが普及した後でも変わることはありませんでした。

 

そんな変われない私を置いて時代はどんどん変わります。

印刷屋さんは紙原稿を嫌がるようになり、手描きしかできないの?的な風潮は瞬く間に広がっていきました。

それでも私はスキャナとフォトショップを駆使し、手描き原稿をデジタル風に加工してどうにか入稿を行っていました。

 

しかしそれは途方も無く効率の悪い方法でした。

サークルの仲間からも「坂津おそい」「おそい坂津」と罵られ、原稿の仕上がりはいつも一番最後でした。

なぜみんなそんなに早く描けるのか、知った時の驚きは今でも鮮明に覚えています。

 

ペン・・・タブ・・・?

 

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ペン状のツールで板状のツールに線を引くと、そのままパソコンの画面に線が描けるという夢の様なインターフェイス

現代にそんなサイバーなアイテムが存在しているのか!?

 

あの驚愕から、もう12~13年が経過しようとしています。

結局私はペンタブを使いこなすことができず、未だ鉛筆とマウスが愛用品なのでした。

 

でも・・・それには限界がありました。

 

ペンタブが欲しい!

どうしてもペンタブが欲しい!

そんな切なる願いを妻にぶつけましたが、ぶつけた願いは妻に当たってポンッと弾かれベシャっと床に落ちました。

慌てて拾い集めようとしましたが、間に合いませんでした。

 

しかし。

 

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え?

 

いやいやいやいや。

 

そんな。

 

まさか。

 

インテュオスって、あのワコムさんの?

 

いくら私がネットに疎いからといって、さすがに騙されませんよ。

 

 

と、思っていたら。

 

 

キタァーッ!!!

 

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本当に贈ってくださったんです!

しかも送料までご負担いただいて!

丁寧な梱包と親切なお手紙まで添えて!

 

この世に神様が居るとしたら、きっと人の姿をしていて、すぐにはそれと気付かないように私達に混じって生活しているんだと思います。

そして私は幸運にも、その神々の皆様にこのブログを読んでいただいております。

そんな神様だらけのはてな湖に願いをぶん投げたら女神様が出ていらしたわけです。

 

影崇拝様「あなたが投げた願いは、この金のペンタブ?それとも銀のペンタブ?」

坂津「intuosです!」

 

こんな私の為にご自身のペンタブを贈ってくださった女神さま。

その御名は、影崇拝様。

影崇拝 (id:shadows-adore)

 

深い考察としっかりしたお考えをお持ちな上に

絵が超絶うまい!

 

 

 

本当にこんなことがあるんだな。

ブログ書いてて良かったな。

 

どうやって恩返ししようかな。

何かできること、無いかな。

 

・・・。

 

 

・・・そうだ。そうだそうだ!

 

影崇拝さまご本人にはもちろん感謝を忘れず、隙あらば何か恩返しをと思いますが、何よりこの奇蹟はきっと「連鎖」させることが重要なのではないか!

 

そのために私ができること!

それは。

 

まずペンタブの練習じゃね?

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ふおおおおお・・・

紙と鉛筆に慣れすぎてて感覚が掴めない。

でも消しゴムを使わなくて良いのはやっぱり素晴らしい!

戻るボタンもありがたい!

これからしばらく私のブ活は朝練も伴うようになりますな。