『かなり』

干支に入れてよ猫

【スポンサーリンク】

ドラマ『憑くって言いなよ』 第2話 レビュー

あけましておめでとうございます、坂津です。

毎週月曜日が待ち遠しい今日この頃ですが皆様いかがお過ごしでしょうか。

遅くなりましたが今週放送分のレビューを書きたいと思います。

※画像はイメージです。

f:id:sakatsu_kana:20170116201648j:plain

『憑くって言いなよ』

■放送日 毎週月曜日

■放送局 ブジ

■時間帯 21:00~

■キャスト

長宗我部大吾郎(ちょうそかべ だいごろう)

大賀彩加(おおが さやか)

以下、割と詳細なストーリーでかなりのネタバレを含みます。

ネタバレが嫌な方は読まないでくださいですが、ここで読まないと他のどこでも知ることはできません。

 

 

◇第2話 あらすじ

 

彩加の実家は千葉県の君津市だと言う。

探偵事務所のある新宿駅からは3時間ちょっとの距離だった。

大吾郎はコートの襟を立て帽子を目深に被って改札を通過する。

彩加の声は大吾郎以外には聞こえないが、大吾郎は普通に喋らなければ彩加には聞こえない。

傍から見れば盛大な独り言に聞こえてしまう。

彩加が大吾郎に道のりを一方的に教える。

中央線で新宿⇒東京

総武線で東京⇒銚子

内房線で銚子⇒木更津

久留里線で木更津⇒上総亀山

終始黙ったままの大吾郎。

明るく話しかける彩加だが、周囲の人には見えないし聞こえないし、大吾郎ももちろん返事をしない。

それでも一方的に話しかける彩加。

 

「私ねぇ、地味な女だったのよ。地味で一途。何にもない田舎から、何でもある東京に出てきたけど、結局自分では何も手に入れられなかったわ」

「お金も溜まらなかったし、友達もできなかった。恋人も・・・」

「OLもすぐ辞めちゃったし、コンビニでも働いた。交通整理だってしたことあるんだから」

「流れ流れて、あの店で働くことになったわ。私の前にママやってた人もサヤカって言ってね。そんな偶然だけで拾ってくれたの」

「ある日ママに“あんたがお店を続けなさい”って言われたわ。そうしなきゃ閉めちゃうって」

「わけもわからず、でも、少ないけど常連さんも居たし、ここで辞めちゃいけないって思ったわ」

「何枚かの書類に名前書いてハンコを押したらそれで私がオーナー。お店は私の物になったわ。多額の負債と一緒にね」

 

久留里線に乗ってからは乗客がまばらになり、大吾郎は人目を気にせず座席に腰を下ろすことができた。

 

「それにしても・・・」

 

大吾郎がようやく彩加に話しかける。

 

「君はよくしゃべるな」

 

呆れた顔の大吾郎。

それに対して不満顔の彩加。

 

「長宗我部さんったらずっと無視するんだから、失礼しちゃうわ」

「当たり前だろう。そもそも君が・・・」

 

窓の外に流れる景色を懐かしそうに見詰める彩加の横顔に、言葉を詰まらせる大吾郎。

 

次の停車駅を知らせるアナウンスが流れる。

車両はゆっくりとホームに滑り込み、停車し、誰も乗り降りしないにも関わらず開くドア。

 

「長宗我部さん、あなたって幽霊が見える人なの?」

「いや、俺には霊感なんてまるで無いよ」

「そう・・・」

 

発車を知らせる音が鳴り、ドアが閉まり、ゆっくりと動き出す。

次の駅が終点であることを告げるアナウンス。

 

「さて・・・これからどうするか・・・」

 

まるで他人事のように吐き捨てた大吾郎へ、彩加が返す。

 

「私、行ってみたいところがあるの」

 

無人駅の改札を抜け、山沿いの道を歩く大吾郎。

すぐ後ろを憑いて歩く彩加。

道路わきにある神社で子供の頃に遊んだ話など、思い出を語りながら道案内をする。

 

「あっちよ」

「ずいぶん奥まで行くんだな」

 

舗装された道から外れ、轍の間に生えた雑草が作る緑のラインが続く山道を進む。

やっと見えてきたのは数基の墓石が並ぶ墓地だった。

 

「ここは?」

「ウチのお墓よ」

「帰郷の礼、か」

「・・・う~ん・・・居ないわね・・・」

 

少し寂しそうな彩加。

はっとして彩加に振り返る大吾郎。

 

「君、まさか・・・亡くなった誰かに逢いたかったのか?」

「そうよ。両親に挨拶したかったんだけどね」

「参ったな。どう説明して良いか・・・」

「どうしたの?」

「君、霊感は?生前に幽霊が見えたりしたかい?」

「いいえ。まったく」

「だろうな」

 

前に憑いててくれた奴の受け売りだが、と前置きして大吾郎は語り出す。

なぜか自分たちがそう思い込んでしまっているひとつの錯覚、というか思い込みがある。

それは「幽霊になれば他の幽霊が見える」というもの。

しかし実際に霊体になって初めて実感するのは、生きていた頃と知覚状況がまるで変化しないということ。

強いて言えば味を感じることができないのと、何かに触れる感覚が無いということ。

つまり味覚と触覚以外は今まで通り、というわけだ。

 

「そっか。とんだ勇み足ね」

 

いくらかの推察はできるものの、彩加の言葉の本当の意味を推し量りかねる大吾郎。

とは言えかける言葉も見つからない。

 

「じゃあ、行きましょうか」

 

彩加の言葉に顔を上げる大吾郎。

促されるまま、夕陽を背に歩き出す。

見えてきたのはお世辞にも立派とは言えない古びた家屋だった。

 

「私の言葉をそのまま真似してね、長宗我部さん」

 

チャイムが見当たらないので引き戸のガラスを遠慮がちに叩く大吾郎。

 

「ごめんくださーい!」

 

やがて曇りガラスの向こうに人影が映り、鍵を外す音が聞こえた。

出迎えたのは腰の曲がった老人だった。

 

「どちらさんですか?」

「小早川英雄(こばやかわ ひでお)です」

「ッ!?」

「ちょっと、何ぼーっとしてるの?早く!ほら!」

「な、なんで君がその名を?」

「いいから早く!」

「こ、小早川英雄です・・・」

「ああ、あんたが英雄くんか」

「は、はぁ・・・」

「・・・まあ、上がりなさい」

 

訳の分からないまま居間に通される大吾郎、後に続く彩加。

 

 

~感想~

 

今回も長回し(カット無しでカメラを回し続ける撮影技法)がすごかった!

終点の一駅前あたりから最後家に入るところまで、CM以外のカットが一切入ってない!

移動区間の人払いとか車の通行止めとかどうやったんだろ?

それは置いといて。

 

幽霊になったのに他の幽霊が見えないというのは、やられた感がありました。

私もなぜか「幽霊は幽霊が見える」と思い込んでいましたが、言われてみればなぜそう思っていたのか分かりません。

 

とりあえず今回は彩加の人物紹介がメインって感じでしたが、割とたくさんの伏線が張られた気もします。

相変わらずBGMはカッコイイし。

相変わらずと言えば、彩加の幽霊感の無さw

まだ慣れませんが、そこが気にならなくなるほどの展開を期待したいと思います。

 

そして最後のお爺さんと、大吾郎に名乗らせた小早川って誰なんだろう?

 

 

 

念のため、全部ウソですからね?

男同士の熱いぶつかり合いが好きだ

あけましておめでとうございます、坂津です。

お題スロットを回してみます。

お題「好きな短歌」

 

私が好きなのはコレ!

 

『わひとをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず』

 

漢字にすると

倭人を一人 百な人 人は言えども 手向かいもせず』

 

 「大和の国の武人は一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない」という意味です。

 

劇団☆新感線の『阿弖流為』で、主人公のアテルイが言ったセリフです。

アテルイ - Wikipedia

 

お芝居のセリフですから、もちろんフィクションです。

ただ、この歌には元ネタがあります。

日本書紀に記されている、神武天皇が詠んだとされるものです。

「えみしをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず」

エミシは一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない、という意味で詠まれているそうです。

エミシ - Wikipedia

そもそも大和朝廷は関東以北を未開の地と位置付け、そこに住まう人々のことを蝦夷と呼びました。

その呼び名には畏怖や侮蔑など、複雑な感情が込められていました。

 

現在でも一般人はテレビで報道されていることを簡単に信じますよね。

情報インフラが未発達な時代ではもっと顕著に「偉い人が言うことが正しい」という状況だったのでしょう。

 

朝廷「あ、俺やけど、俺、朝廷、わかる?」

蝦夷「知らんがな」

朝廷「知らんて!これやから田舎モンは!まぁええわ。金出しや」

蝦夷「は?何それ。いとウザし」

朝廷「ちょ、おま、俺にウザいって言った?ねぇ?」

蝦夷「なんでお前に俺らの金やらんといかんのか」

朝廷「だって俺朝廷やし。あんま反抗的やと処すでしかし!」

蝦夷「やってみろやモヤシ野郎!」

朝廷「つ、強ッ!怖ッ!蝦夷こわっ!」

 

こんな感じかどうかは分かりませんが、とにかく関東以北で独自の文化を形成していた人々は大和朝廷の支配下に治まることを拒み、迫害されていくのでした。

 

f:id:sakatsu_kana:20170116172006j:plain

この石碑に刻まれている名は、西暦700年代終盤から蝦夷を率いて朝廷と戦った阿弖流為(アテルイ)と母礼(モレ)です。

京都の清水寺に在ります。

 

このアテルイ、色々な作品でとにかく勇猛果敢に描かれているのです。

 

 

小説だと高橋克彦先生。

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

火怨 上 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

 

 

火怨 下 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

火怨 下 北の燿星アテルイ (講談社文庫)

 

 

演劇では劇団☆新感線で主演は市川染五郎さん。

アテルイ [DVD]

アテルイ [DVD]

 

 

トンデモナイ設定ですが超面白い、漫画では阿弖流為Ⅱ世

阿弖流為2世―龍の系譜を継ぐ者 (GOTTA COMICS)

阿弖流為2世―龍の系譜を継ぐ者 (GOTTA COMICS)

 

 

どの作品も「アテルイのこと大好きなんだろなぁ」と思わせてくれます。

 

 

朝廷「なんであいつらあんなに強いんや!」

蝦夷「大義も地の利も我に在り!!」

朝廷「ちょっとウチには強い奴おらんの?」

大伴「めっちゃ強いのおりまっせ」

朝廷「大伴弟麻呂くんやないか!誰?誰が強いん?」

大伴「坂上田村麻呂ですわ」

朝廷「呼んで!いますぐ呼んで!」

坂上「お呼びで?」

朝廷「征夷大将軍にしてあげるからちょっと蝦夷を処してきてん」

坂上「仰せのままに」

 

坂上「どうにか蝦夷の首領を説き伏せました!」

朝廷「マジで?お前すげーな!」

坂上「こちらも相当の痛手を負いましたが、なんとか」

朝廷「よっしゃよっしゃ。もうすぐに処しちゃって!」

坂上「殺すにはあまりにも惜しい逸材かと存じます」

朝廷「ダメ!俺に逆らったからダメ!」

坂上「そこをどうにか。何かあったら私が責任とりますから」

朝廷「ダメったらダメ!何?お前も処されたいんかえ?」

坂上「いえ、それは・・・」

朝廷「じゃあ口出しすんなっつの!あの蝦夷は絶対処すの!」

 

最後まで徹底抗戦を貫けば、まだ朝廷軍を疲弊させることが出来たアテルイでしたが、同族の被害をこれ以上広げまいと降伏します。

蝦夷は獣の心を持つ野蛮な民」というイメージを植え付けられていた坂上田村麻呂でしたが、アテルイの勇敢な戦いぶりと智略を尽した戦術、礼を重んじる心と同胞を守りたいという熱い魂に触れ、「今の大和(朝廷側)にこれほどの男が居るだろうか」と感心します。

田村麻呂はアテルイの助命を嘆願しますが、朝廷はそれを退け、アテルイは処刑されてしまうのでした。

 

 

私はこのアテルイと田村麻呂の心のやり取りが好きで好きでたまらないのですが、それを見事に表したのが、冒頭の歌だと思うのです。

 

『わひとをひたり ももなひと ひとはいへども たむかいもせず』

 

漢字にすると

倭人を一人 百な人 人は言えども 手向かいもせず』

 

 「大和の国の武人は一人で百人力と言うが、実際に手合わせしてみると大したことはない」

これはアテルイが言うセリフですが、田村麻呂も内心これに同意するのです。

組織に属する中間管理職はつらいよね、田村麻呂。

世の中には「聞いてくれよみんな!」が溢れている

あけましておめでとうございます、坂津です。

世の中にはたくさんのビフォーアフターがありますね。

使用前⇒使用後

施術前⇒施術後

挑戦前⇒挑戦後

我々は様々な物事について事前に事後の状況を情報収集してから実践にうつるケースが本当に多くなりました。

でも実は「情報を欲しがる人が増えた」のではなくて「発信したがる人が増えた」んじゃないでしょうか?

私が撮影した写真にもたくさんの「発信したいから撮ったやつ」が在ります。

 

例えば我が家のテーブルとか。

変更前

f:id:sakatsu_kana:20170116083006j:plain

変更後

f:id:sakatsu_kana:20170116083018j:plain

 

 

例えばちょっとだけ雪が降ったとか。

融解前

f:id:sakatsu_kana:20170116074559j:plain

融解後

f:id:sakatsu_kana:20170116074610j:plain

 

 

例えば特別な買い物をしたとか。

開封前

f:id:sakatsu_kana:20170113214926j:plain

開封後

f:id:sakatsu_kana:20170113214936j:plain

 

 

「こんなことをやったよ!」

「こんな変化があったよ!」

「こんなものを買ったよ!」

私たちは様々な「聞いて欲しい」を発信します。

今ほど気軽に簡単に全世界の不特定多数に向かって発信できる世も無かったでしょう。

 

「だからこそ発信する情報には責任を持って」とか「明確なルールが無い以上ひとりひとりのマナー意識が大事」とかそんなつまらないことを言いたい訳じゃないんですよ。

 

金の採掘場で「てめぇ雲母コノヤロウ!金かと思っただろ紛らわしい!」なんて誰も言いません。

↓コレ雲母(うんも)ね↓

f:id:sakatsu_kana:20170116091847j:plain

「見て判らない奴が悪いだろそんなの」ってなりますよね。

 

いずれ情報についても、そんな時代が来るんじゃないかなって思います。

今は何かと「発信側」に責任をなすりつけてくるのが常ですが、それは「受信側」に真偽とか信憑性とかを確認するスキルが無いからですよね。

「僕たち情報の真贋が判んないから変なの発信するのやめてよねー!」ってことです。

でもやがてgoogleさんあたりが頑張って、有象無象の中からクライアントに必要な情報を的確に探し出すような機能が開発されたりして。

もしくはそんな職業「情報ソムリエ」みたいなのが確立されたりとか。

 

ちょっと乱暴な表現ですが「2人の中から選ばれた1人」よりも「1000人の中から選ばれた1人」の方が価値がありそうじゃないですか?

結果的に同じ人が選ばれていたとしても。

逆に言えば「1人の敗者の上に立つ勝者」よりも「999人の敗者の上に立つ勝者」の方が価値が在るように見えちゃうんですよ。

 

だから、情報についてもそうなれば良いと思うんです。

重宝されるのは重要で役立つ情報なんだけど、それがより価値を得る為にはその他の「雑音」が必須であるという状況。

その雑音を垂れ流す係りとして、この『かなり』が存在意義を増すんじゃないかと。

雑記ブログの中でも特に重要性、信憑性、緊急性、モラル、意識、その他いろんなものが低い雑記オブ雑記。

雑記の星。

雑記スター。

雑記ing。

ザッキ、ザッカー、ザッケスト。

 

お役立ちブログを書かれている皆さんを陰で支える縁の下の雑記ブログ。

そんなブログを、私は書きたい。