『かなり』

干支に入れてよ猫

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【特別企画】「なつやすみの宿題 納涼合宿」

どうも、気付いたら7月が終わっていたというアヤマチで、7月のお題の「海」に乗れなかった悲劇を繰り返してはなるまいと決意して書いた坂津です。

今回も少し怖い話になっていますので、苦手な方は引き返してくださいね。

 

 

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

『怖い体験談』

 

これは私が大学生の頃の話です。

夏休み、友人の実家がある高知県芸西村(げいせいむら)に行きました。

その友人宅には総勢17匹の猫が居るということで、それは是非とも拝みに行きたいとお願いし、ようやく実現した訪問でした。

家は平屋の日本家屋で、古い印象はあるものの大きく立派な造りでした。

初日の夜、たくさんの猫たちと触れ合いじゃれ合い、美味しい晩御飯をごちそうになり、美味しいお酒で酔っ払い、天にも昇るような気持ちで寝ました。

翌朝、興奮冷めやらぬからなのか何なのか、やけに早く目が覚めました。 

友人宅は10分ほど歩けば海に出られるような場所でしたので、まだ薄暗い夜明け前の海でも見に行こうと、散歩出ることにしました。

途中で線路を横断せねばならず、踏切がある場所まで横移動するのが面倒でした。

そんなに頻繁に列車が来るわけでもありませんし、こんな暗い中で列車が近づいていれば嫌でもすぐに分かります。

いけないことだとは思いつつ、私は踏切の無い線路を横断しました。

さすがは太平洋、特に時化ていることもないのですが、波が防波堤に打ち付け、飛沫が舞っていました。

竿を持ってくるべきだった、と少し後悔しましたが、友人宅に泊めてもらっている身分で勝手に予定を変更して釣りなどと言えるはずもなく、これ以上欲求が大きくならないうちに海から離れようと友人宅へと回れ右をしました。

今日は高知市内で買い物という予定でしたから。

来た道を戻るとやがて線路に当たります。

また敷き石を登って線路を越えて行こうと足を石に掛けました。

ふと、視界の端で動くものがあり、無意識に焦点を合わせてしまいました。

子供です。

見ない方が良い種類の、子供でした。

私は気付かない振りをして、真っ直ぐ線路を横断しようとしました。

視線を向けていないので詳しくは分かりませんが、両手でゴソゴソと何かを探しているような動きをしていました。

これは私の認識というか解釈と言うか、もし見えてしまったとき、こちらが相手に気付いたことがバレてはいけない、という考えがあります。

普通に霊感や霊能力がある方には否定されてしまうかもしれませんが。

例えばもし、私が川で溺れていたとして、川岸に誰も居なければ自分でどうにかするしかありません。

しかし川岸に誰か居たら話は別です。

きっと気付いて欲しくて声を上げたりするでしょう。

でもその人に自分の存在に気付いてもらえなかったら、諦めると思うんです。

逆に、川岸の人と目が合った、明らかにこちらに気付いている、という状態なのに助けてくれない、となると話が変わってくると思いませんか?

きっと「なぜ?」「どうして助けてくれないの?」という気持ちが、怒りや恨みに変わるのにそんなに時間はかからないと思います。

これが、私が気付かないふりをする理由です。

私には何の能力もありません。

どうしてあげることもできないのです。

「気付いてくれた」という希望を持たせないことが、私にとってただひとつの出来ることなのだと思っています。

その子供は、上半身だけでした。

そちらを向いた訳では無いので定かではありませんが、血や内臓といったスプラッタな状況ではなさそうでした。

とにかく普通に、無表情に、何事も無いように、この線路を渡ることが最優先です。

でも、無理でした。

私から見て右側4~5メートルのあたりに居た子供はこちらに背を向けるようにして手をバタバタ動かしていました。

急に方向転換するのもおかしいので、私は元々通るつもりだったコースを変えずに線路を渡ろうとしました。

そのコース上に、発見してしまったのです。

恐らくは、その子供の、足を。

左足だけでした。

太腿あたりから下で、靴は無く、白い靴下を履いていました。

このままの歩幅でいけば蹴飛ばしてしまう位置でした。

一瞬の間でしたが、とても色々なことを考えました。

ちょっとコースを変えるか、引き返すか、私の足があの足に触れるとどうなるんだろうか、透けて重なるのか、実際に蹴飛ばすことになるのか・・・

歩調を変えない以上、一瞬後には必ず落ちている足との交差は訪れます。

そして私は、その足を跨いでしまいました。

明らかに普通の歩き方ではなくなってしまいました。

バイな、と思いながら、跨いだあとは早足になりました。

でも本当にヤバかったのはこの後だったのです。

私の歩き方が変わったことは、その子供にとっては大したことでは無かったのでしょう。

私の歩き方が変わったことを最も気にしていたのは私自身でした。

そのせいで、もしこれを子供に気付かれていたとしたら、という思いを抑えることができず、私はチラッと子供の方を見てしまいました。

さっきまで背を向けていたはずの子供と、目が合いました。

ただしこちらを向いている訳ではありません。

頭をこちら側にして、仰向けになった状態で上目使いにこちらを見ていました。

マズイ。

完全に目と目が合っている状態です。

子供はとても真面目な、真剣な顔つきで、突然動き出しました。

背泳ぎのような動きです。

左右の手が交互に地面を叩き、上半身だけの体をガクガク揺らしながらものすごいスピードでこちらに近づいてきます。

逆さまの顔はまっすぐに私を見ています。

これは、詰んだかも。

そう思いました。

なにせ体が動かないのです。

恐らくは視線が合ったときから、私は一歩たりとも動けない状態でした。

あまりの恐怖は体を硬直させるのでしょうか。

刹那の後にはその子供が激突してくる。

そんなタイミングでした。

「ギシャーッ!!!」

謎の叫び声で体の硬直が解け、私は少し高くなっている敷石の坂を転げ落ちました。

その直後、轟音を響かせて私の目の前を列車が過ぎていきます。

間一髪でした。

警笛は鳴っていなかったと思います。

その代わりに鳴いてくれたのは、猫でした。

友人宅の猫勢の一匹でしょうか。

猫が鳴いてくれたおかげで私は動けるようになり、惨事を回避することができました。

その猫はまだ毛を逆立てて背を丸く持ち上げ、低く唸っています。

列車が通過した後の線路には、子供が居ました。

両手で左足を持っていました。

私や猫の方を見ている様子はありません。

もしかしたら、さっきの行動も私に向かってきていたのではなく、自分の足を見付けただけだったのかもしれません。

目が合っていると思ったのも、私の自意識過剰でしょうか。

ともかく一難去り、私は猫にお礼を言って抱きかかえて帰ろうと思いました。

威嚇中に後ろから抱かれ驚いた猫は、シャッと鳴きながら私の腕を引っ掻き、走り去っていきました。

列車に轢かれることを思えばどうということは無い引っかき傷を見て、線路に視線を戻すと、もうそこにはあの子供は居ませんでした。

気付けば空は明るくなっていました。

友人宅に戻ると、朝食の準備をしているお母さんが出迎えてくれました。

靴が無かったので散歩だろうと思っていたとのことです。

ただ、もう少し帰りが遅かったら探しに出ようと思っていた、とも言われました。

勝手に外出して心配させてしまったことを詫びると、そういう意味では無いニュアンスの答えが返ってきました。

踏切の無い線路を渡ってはいけない、という注意をするのを忘れていた、ということでした。

少し、ゾッとしました。

しかしせっかくこの話題が出たのですから、掘り下げるチャンスだとも思いました。

私はさり気なく「過去に列車事故でもあったのですか?」と聞いてみた。

もしかしたら子供が轢かれたという話が聞けるかもしれないと思ったのです。

しかしお母さんから返ってきた話は意外なものでした。

過去にあの線路で事故が起きたことなど、一度も無いというのです。

ただ、一歩間違えると危険だった、という事案がたくさんあったそうです。

ある人は線路の間に札束が落ちているように見えて拾いに行き、そこへ列車が近づいてきたので咄嗟に身をかわし、再度お金を探すとそんなものはどこにも無かったとのこと。

またある人は線路にうずくまるお婆さんが居たので助けようと思い近づくと急に列車が目の前を通過し、目を覆う惨事を予想して薄目を開けるとお婆さんはどこにも居なくなっていたとか。

とにかく同じ圏内でたくさんの人が「何らかの要因で線路に入り、列車が通って轢かれそうになる」という経験をしているのだそうです。

詳細を省きながら、実はついさっき私も同様の経験をしたこと告げると、お母さんは少し真剣な表情になりました。

そしてテレビの電源を入れます。

ニュース番組が始まり、5時55分を告げるアナウンスが入ります。

どうせ後で気付くだろうから教えといてあげるわねと、お母さんは前置きし、あの路線の始発が6時過ぎであることを告げました。

続けて、今まで同様の経験をした人たちは特に何もなく元気でご存命であることを念押ししてくれたお母さんの配慮が有り難かったです。

この話を友人にすると、その助けてくれた猫がこの部屋にいるかどうか見てみろと言われました。

確かに、ちゃんとお礼を言った方が良いかもしれません。

しかし見当たらないのです。

割と体格のしっかりした黒猫で、左右の耳の先だけが少し白くなっている猫です。

その容姿を伝えると友人は机の引き出しから写真を取り出し、差し出しました。

そこにはその猫が写っていました。

オロシという名前の猫だそうです。

大根おろしに醤油をかけたとき、どんどん醤油色に染まっていく大根の、最後の白い部分を彷彿とさせる耳の色が由来だそうです。

あまり懐かなかった、と友人は言いました。

そして、今年の春に死んだと続けました。

なんだか不思議なことが立て続けに起き過ぎて消化しきれませんでしたが、少し友人が寂しそうだったので、オロシは元気だったよと言って腕の引っかき傷を見せました。

もう20年くらい昔の話ですから、その腕の傷も残っていませんし、今はその友人に連絡を取ることも無くなっています。

実際に起きたことをなるべく脚色せずに、時系列もそのままに記述しようと努力しましたが、現象の原因やすっきりする解答が無くて困りました。

ただ実際に経験する不思議な出来事のほとんどは、その理由や仕組みが解明できず謎のままであることが多いのも事実です。

無理に理由をこじつけるのも無粋な気もします。

謎は謎なまま、不思議は不思議なままで、置いておきたいと思います。

今でもたまに耳の先が白い黒猫を見かけると、もしかしてオロシかなと、思ってしまいます。

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猫に恩返しをさせないことに定評のある私

どうも、坂津です。

 

私が拾ったのは、確かに猫でした。

 

大学生2年生の夏休み。

課題のレポートを書くためとは言え、こんな日に図書館に行くのは嫌で嫌で仕方ありません。

しかも目当ての本が貸出になっていて、自分の不運を呪いながらトボトボと帰途につきます。

すると。

火傷しそうなほど熱いアスファルトの上で、ミィミィと鳴いていたのは、手のひらに収まるほど小さな子猫でした。

熱せられたアスファルトよりはいくらかマシであろう、街路樹の根元の日陰に子猫を移動させ、私は親猫を探しました。

歩き出す私の背後からミィミィと声が聞こえます。

 

違うよ、立ち去るんじゃないよ、君のお母さんを探すだけだよ、そこは熱いから土の上に居なさいね。

 

伝わるはずもありません。

時間が許す限り母猫を探しましたが、見付けることも出て来てくれることもありませんでした。

 

どうしようね?君はどうしたい?おなかはすいてないかい?連れて帰っても良いかなぁ?お母さんは心配しないかなぁ?

 

もう決心はついていました。

私は子猫を手のひらに乗せ、帰宅しました。

 

それから1年と半年、シピィはずいぶん大きくなりました。

わがまま放題で私を困らせる最愛の存在。

小悪魔の性格を持つ可愛い天使。

 

バイトでへとへとに疲れて帰っても、シピィは私より先に私のベッドで寝ています。

こうなると私はコタツの座椅子で寝るしかありません。

疲れているとつい、愚痴っぽくなってしまいます。

 

あのまま放っておいたら、お前は死んでたかもしれないんだぞ?

少しは私に恩返しをしようと思わないのかい?

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だらりと伸びた体でチラッとだけ私を見て、シピィはまた寝てしまいました。

 

分かっているんです。

もう私は充分に癒されているし、恩返しなんて求めてはいません。

今のままのありのままのわがままシピィが大好きなのです。

ベッドを占領されることすら、悦びなのです。

 

翌朝、コタツの座椅子の上で目覚めた私はシピィの姿を探します。

もうベッドにはいません。

ずいぶん肌寒くなったとはいえ、日差しがあればまだ温かいこんな日は、きっと日向ぼっこをしているに違いありません。

 

放っておいてもお腹がすいたと言ってくるでしょうが、私は外にシピィを探しに行きました。

柔らかな日差しの中で地面に体を横たえ眠っていたのは、シピィではありませんでした。

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えっ・・・と。

私の足音に気付いたのでしょうか、シピィと同じ色の髪を揺らしながら、女の子が上半身を起こしました。

そして大きなあくびをひとつ。

両手と膝を地面についたまま、肩を下げ腰を高く上げて伸びをしました。

すっくと立ち上がり、音も無く私の方へ歩いてきます。

後ずさる私に何のお構いも無くゼロ距離まで接近し、私の首筋を舐めてきました。

襟もと、肩、胸部と、流れるようにスンスンとにおいを嗅いでいきます。

 

シピィ、なのかい?

 

私がようやく発した間抜けなセリフに、彼女はこくりと頷きました。

 

そうだよ。

 

もう何から驚いて良いのかわかりませんが、度を越した驚嘆に耐えられるほどタフではない私の脳は理解することを拒絶し、とりあえず目の前の現実を受け入れようとします。

 

人間に、なったのか?

 

なったよ。おんがえし、するんだ。

 

と、とにかく、服を着なさい。

 

やだ。

 

その格好じゃ私が困るんだよシピィ。

 

オスは、はだか、すきだろ?

 

う・・・。

 

おんがえし、するから。

 

さっきまで猫だったとは思えないほど自然な動作で、シピィは私に絡み付いてきます。

とにかくここはまずい。

周囲に人が居ないことを確かめてから、私は彼女を抱きかかえて部屋に戻ります。

一息ついたのも束の間、悪戯っぽく微笑んだ彼女の顔を確認するのと、ベッドに押し倒されるのは同時でした。

 

ま、待ちなさいシピィ。

 

なんで?おんがえし、するぞ?

 

私はこんな恩返しは望んじゃいないよ。

 

なんでも、すきにして、いいんだぞ?

 

違う。違うんだよシピィ。

 

なんでも、いって、なんでも、するから。

 

どうやら彼女は困っているようでした。

どうして良いのか分からない、そんな感じです。

私はそっと優しく彼女の肩を抱き、質問します。

 

本当に、何でもしてくれるのかい?

 

する。なんでも、する。

 

分かった。じゃあ、私の願いを言うよ。

 

がんばる。

 

猫に戻ってくれないか?

リアルな女の子とかマジ無理なんだ勘弁してくれ頼むよ。

猫だから愛せてたんだよ。

Z軸のある女性はダメのダメダメだ。

猫が人の姿になるなんてのは二次元だからこそ成立するし萌えるんだ。

戻れ。戻ってくれ。

 

 

 

私はコタツの座椅子で目を覚ましました。

慌てて起き上がり、ベッドの上にシピィを探しますが見当たりません。

すると足元から短い一言が。

 

にゃあ。

 

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いつものように伸びきった体で気だるそうに私を見上げるシピィが居ました。

 

なんてセクシーな夢だったのでしょう。

あれは私の願望だったのでしょうか。

いやいや、猫に戻るように言い聞かせたし、一線は越えていません。

夢の中でも私は充分に理性的でした。

 

良く分からない自己肯定の最中、シピィがニヤっと笑ったように見えました。

舌の櫛で前足の毛をとかし、ごろんと転がって、起き上がり、外に出ていきました。

途中で一度こちらを振り返り、そして私に言いました。

 

このクソ2次オタが。

 

いや、言ったのではないかも知れません。

でも、言ったのかも知れません。

恩返しありがとう。

私にはご褒美です。

『マトリョーシカ』

私の家の周りには、街灯が全くと言って良いほど無い。

当然夜はかなり暗くなる。

それでも近所の家から漏れた明かりや、丸く輝く月がある時は、さほど闇は濃くない。

本当に闇を感じるのは新月や、曇で空が覆われているとき。

そしてどの家も寝静まり、消灯した時間だ。

 

私は仕事柄、徹夜が多いので昼夜逆転の生活になってしまっている。

だから私にとって、家の周囲は暗いもの、というイメージがある。

そのせいか、煌々と月の輝く夜などは、私には明る過ぎて何のインスピレーションも湧かない。

逆に、天気が悪く周囲の家も消灯した時などは、わざわざベランダに出て闇を楽しむ。

闇に目が慣れ、徐々に辺りの景色がぼんやりと判別できる程度の視界、それが私の創作意欲を掻き立てる一番の材料だ。

最近のスランプは、ここのところの晴天と満月のせいだろう。

 

私は、小説家だ。

その日は1日中曇天だった。

当然夜になれば月明りなど無いはずだ。

予想通り、深夜になると闇が支配する世界が、どこまでも広がっていた。

いつもの様にベランダに出て闇を見つめていると、ぼんやりとした視界の中に動くものを見つけた。

 

道路脇の壁の高さと比較するに、それは小柄な人間大のサイズで、我が家の方へゆっくりと進んでいた。

3軒隣の向かいにある家の表札は電灯内蔵型で、柔らかな光がそれを微かに照らす。

二本の足で歩いている様子から、人であると判断した。

なぜか黒いレインコートを着ている。

私は私だけの世界を邪魔された気分になり、すぐに部屋に戻った。

しかし、雨も降っていないのにレインコートを、しかもフードまで被るとは普通じゃない。

私はもう、自らの好奇心を押さえる努力を放棄していた。


次の日も、その次の日も、黒いレインコートの人物は闇の中に現れた。

私は職業柄、誰にも負けない好奇心を持っていると自負している。

知りたいと思ったことは知らずにいられない。

翌日、珍しく昼間に外出した私は、スターライトスコープを入手してきた。

これは、ごく僅かな光でもそれを増幅し、かなり鮮明な視界を得る為の双眼鏡のようなものだ。

昔は軍用で、とても一般人が手に入れることなど出来なかったが、今はそれなりのコネと金があれば簡単に手に入れることができる。

私は職業柄、特殊なコネクションを持っている。


さて、情報集めの始めの一歩は観察である。

私はまず黒いレインコートの人物をじっくり観察することにした。

その夜も現れた黒いレインコートの主は、ゆっくりと道を進んでいた。

息を殺し、密かに見つめていた私は思わず声を上げそうになった。

 

あまりにも、私の予想通りだった。

レインコートの主は、私の知っている少女だった。

 

綺麗に整った顔立ちで、透き通る様な白い肌が闇に浮かんでいる。

そして黒いと思っていたレインコートも、深い茶色の様な色で、ずいぶん年期の入ったものだった。

私は“想定外の予想通り”に興奮した。


あの少女はどこから来て、どこに行くのだろうか。

もはや実体を持ったかのような好奇心の塊が、私の背中を押す。

物音を立てないように気をつけながら、私は外に出た。

玄関のドアの「カチャ」という小さな音が、びっくりするほど大きく聞こえた。

私の鼓動の音も、負けないくらいに大きくなっていた。

 

彼女は、存在するはずが無かった。

しかし現実となって私の前に現れた。

私の知る彼女は、いや、特に深くは知らないのだ。

名前も、年齢も、どんな声をしているのかも。

 

それでも私は彼女を知っている。

あの少女を作り出したのは、私なのだから。

 

作品のプロットで、雑な設定のみ作り上げたキャラクター、それが彼女だ。

いくつかの箇条書きされた特徴と、私の頭の中だけにある容姿が全てだ。

結局彼女が登場する作品は執筆できていない。

 

 

私が外に出たとき、すでに少女の姿は無かった。

一応、歩いて行った方向を少し探してみたりもしたが、やはり居なくなっていた。

私は諦めて、家に帰り、玄関のドアに手をかけ、気を失った。

 

 

後頭部に鈍い痛みを覚えて私は目覚めた。

目の前にいるレインコートの少女の無垢な微笑みが、この状況と何とも不釣り合いだ。

私は両手を万歳の格好で縛られ、吊されている。

足の裏はしっかりとコンクリートを踏んでいるが、脱出は難しそうだ。

 

私は職業柄、どんな状況であっても好奇心を優先する。

私は少女に話掛けた。


「あの・・・私をどうするつもりだい?」

 

少女は黙って微笑んでいる。

 

「・・・君、名前は?」

 

少女は黙って微笑んでいる。

 

「どこから来たんだい?」

 

少女は黙って微笑んでいる。

 

「雨も降っていないのに、なぜレインコートを着ているのかな?」

 

少女は黙ったまま私に近づき、レインコートの中の腕を素早く突き出した。

 

彼女の手には木製の柄。

私の胸には金属製の刃物。

 

少女は私に深々と刺さった刃物をサッと抜いた。

 

「ああ!その為のレインコートなんだね!」

 

私の血しぶきは彼女に、まるで赤いシャワーの様に降り注ぐ。

少女の恍惚とした表情はまるでキリスト教が伝える夢魔のようだった。

レインコートの意味が分かり、好奇心が満たされた私もまた、恍惚としていた。

 

少女がなぜこんなことをするのか、という疑問は湧いて来ない。

そういう存在である、という奇妙な説得力を、彼女は持っている。

 

そうだ、この少女がなぜこんなことをするのか、その動機について記述する必要はない。

 

これで、ようやく作品が書けそうだ。

 

 

 

 

「いや、悪かったね、大変だったろう?」

 

「そんな。先生のためですから」

 

少女はにっこりと笑って、私の手を吊るしていたロープをほどく。

 

「でも、ごめんなさい、痛くなかったですか?」

 

上目遣いで尋ねる彼女は、心底申し訳なさそうだ。

確かに後頭部を殴られて気絶させられるとは思ってもみなかった。

しかしそれが、より良い刺激となった。

 

「私は生まれつき石頭なんだ。心配しなくて良い。しかし私の問いに、何も答えず微笑んでいるだけというのが実に良かった」

 

彼女ははにかみ、とても嬉しそうだ。

 

「先生、この作品が映画化するときは、絶対私に声をかけてくださいね」

 

彼女は役者だ。

作品のインスピレーションを明確化するためとは言え、よくここまで付き合ってくれたものだ。

 

「もちろんさ。ただし、そのときに君が少女のままで居られるかは、私の責任の及ぶところではないがね」

 

「じゃあ早く書いて、早く映画化してくださいよ」

 

頬を膨らませ、そしてケラケラと笑う彼女の姿が今でも目に焼き付いている。

 

 

あれから十数年の歳月が流れ、私の作品はついに映像化されることとなった。

映画化ではなくCSの特別ドラマであり「懐かしの名作がついにドラマ化」などという使い古された冠を被らされてはいたが。

 

この手の話でキャスティングに原作者の意志が介入できるケースはほとんど無い。

建前としてオーディションに呼ばれるのが関の山であり、しかしその場での決定権も、無きに等しいのである。

私もそのつもりで、きちんとその辺りの事情をわきまえて臨んだオーディション会場だった。

あの時の役者、あの少女はもう居ない。

時が経ち過ぎた。

だからこそ、誰でもいいというような自棄の気持ちも、あったかも知れない。

 

 

しかし、私の目はその少女に釘付けとなった。

 

見間違うはずもない、あの少女である。

 

 まさか。

 

そんなはずは。

 

しかし実際に目の前に居るのは、あの少女なのだ。

 

「・・・せい、先生・・・先生?」

 

スタッフの呼びかけに我へと返った私は、それでも少女から視線を外すことができなかった。

様子がおかしい私をよそに、選考は継続された。

 

「先生も君のこと気に入ったみたいだから、次のセリフも続けてやってみて」

 

立ち居振る舞い、声、纏う雰囲気までもが彼女そのものだった。

一体どうして、私は夢でも見ているのか。

 

オーディションが終わり、最終決定権を持つ監督があの少女を推した。

選考に関わったスタッフ全員が、同意した。

もちろん私も、例外ではない。

なぜなら、私の作品は彼女を書いたものなのだから。

本当に、私の小説から飛び出してきたとしか言いようが無いほど、彼女だった。

 

狐に摘ままれたような気持ちで会場を後にしながら、それでも、撮影が進めばまた彼女に会えると思うと心が躍った。

 

愛車の待つ駐車場と、真横にある自動販売機と、それに背を預ける彼女が見えた。

 

「先生、やっぱりこれ、先生の車だったんですね」

 

私の知るあの笑顔と声が、目の前に実在していた。

 

「き、君は・・・一体・・・」

 

 

 

 

数年経っても私の作品は一向に映画化されることは無く、また、彼女も役者として生きていくことは叶わなかった。

メディアミックスこそされないものの、食うには困らない程度の稼ぎが、私の作品たちにはあった。

しかし彼女は女優の夢をあっさりと諦め、田舎へ帰ってしまった。

彼女が女優になるという夢は、もはや私の方が大きく抱いていたのではなかろうか。

一回り以上も年下の少女に対し、未練がましく追いすがるわけにもいかず、私は失意のうちに彼女を見送った。

 

それから十数年。

 

「そうか、それで・・・その、お母さんは、元気かね?」

 

突如として目の前に現れたのは、自身の作品から飛び出してきた少女ではなく、自分が血を分けた実の娘であった。

 

「死んじゃったよ。それで遺品を整理してたら、先生のことが書いてある日記を見付けたの。お母さん、本当に先生のこと好きだったみたいだね」

 

母の死をあっけらかんと告げるあどけなさの中には、微塵も悲しみが測れない。

これが演技であるなら、大した女優だ。

 

「そうか。・・・すまない、私は、その、君が居るということすら・・・」

 

「ううん、いいよ。知ってるから。お母さんはわざと秘密にしてたみたいだし」

 

しかし何の因果か、運命と言うものは不思議としか言いようが無い。

事実は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。

知らぬ間に生まれ育っていた自分の娘に、その母親を重ねている自分の現状を俯瞰すると、どうにも表現し難い感情が湧いてくる。

 

「・・・だがやはりこれは言っておかなければな。私は結婚し、妻も子供も居る」

 

「それも、知ってるよ」

 

そう言いながら、私の娘は自動販売機を背中でトンと押し、私の方へ倒れ掛かって来た。

その手にナイフを光らせながら。

 

「・・・君が気に病むことは無い。これは、たぶん私の業だろう」

 

「お母さんがどれだけ苦労したかも知らないで!うぅ・・・」

 

私の胸に突き立つナイフと、その柄を握る彼女。

血でぬめる手に力を込め、彼女は声の無い慟哭に震えた。

 

 

 

 

 

「ここがどうしても納得できないんだよね」

 

「なんで?」

 

僕の胸から血のりで赤く光るナイフを離し、彼女は唇を尖らせた。

さっきまでの涙はいったいどこへ行ってしまったのか。

 

「この子、あ、私の娘ってことね。この子がなんであんた、あ、先生ね。先生を殺さなきゃいけないのかが分からないのよ」

 

もう実演式創話法は終わりということだろうか、彼女は僕の顔に刻まれたシワを、ぐいぐいと擦って落としにかかった。

せめてクレンジングを使って欲しいのだが。

 

「その部分を敢えて描かないことで、読者の想像力を膨らませるんだって。名作ってのはいつの世も、作品の隙間を読者が埋めることで完成するの」

 

「えー、私はちゃんと書いて欲しいなー」

 

どうしても納得できないらしい彼女の肩に手を置き、小柄な彼女の視線に合わせて屈んだ僕は目と目を合わせて告げる。

 

「この作品が売れるか売れないかに、僕たちの将来が掛かってるんだぞ。協力してくれてることは有り難いけど、作品の内容には口出ししない約束だっただろ?」

 

見つめ合ったままの姿勢で、不承不承を絵に描いたような態度を崩さない彼女に、僕は軽くキスをした。

 

「な、ちょ、ちょっと!もう!」

 

クールな演技と素のギャップが、彼女の魅力のひとつだ。

赤くなった顔でそっぽを向きながら、怒ったような口調で言う。

 

「分かったよ。もう。絶対売れるやつ、書いてよね!」

 

愛しい彼女の為にも、僕はこの小説を大成功させなければならない。

そして文豪である彼女のお父さんに、結婚を認めてもらうのだ。

 

 

 

 

 

私は手にした原稿から目を離した。

 

読み終わったばかりのその作品を静かに机の上に置き、目の前の青年に語りかける。

 

「君は、結婚前にも関わらず、私の娘にキスをしたのかね?」

 

「ッ!? そ、それは・・・」

 

「したのかね?」

 

「・・・はい」

 

「娘は嫌がっていなかったかね?」

 

「そ、そんなことは無いと思います!」

 

「・・・そうか」

 

私は深く息を吸い、吐いた。

 

「では、認めざるを得んな」

 

「ほ、本当ですか!!!?」

 

「ああ、結婚は、認めよう。しかしこの小説はダメだ。何が言いたいのか、どこでどうなっているのか、どこまでが小説なのか全く分からん。こんな物が作品と呼べるか」

 

「あれ、文豪でいらっしゃるお父様でもお分かりになりませんか?どこまでって、そりゃ全部ですよ、全部」