『かなり』

干支に入れてよ猫

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自分の価値を認める

どうも、坂津です。

近所の用水路にスッポンが居ます。

てか近所じゃなくても、そこら辺にいっぱい居ます。

人影を察知するとすぐ潜ってしまうのでなかなか撮影できないのですが、我らが岡山県が誇る無数の用水路には、結構な数のスッポンが生息しているのです。

だってめっちゃ見るもん。

普通の亀と違って明らかに顔が尖ってて、甲羅と手足の境界があいまいなやつ。

でっかいのだと甲羅の直径が40cmくらいありそうなやつとか、普通に見掛けます。

『高級食材』とか言われてますけど、ドブ川で泳いでるのを見るととてもそうは思えません。

 

私の両親が趣味でやってる小農園で、黄ニラを育てています。

これも高級食材なんて言われていますけど、めっちゃ身近にあるので高級感はありません。

また祖父が存命の頃は林業のかたわら松茸狩りもしてまして、秋になると山ほど焼いて食べていました。

これもまた高級感などカケラも無い単なるバーベキューでした。

 

そもそも『高級』とは大抵の場合『希少』と同義であることがほとんどです。

モノによってはブランド価値を高めるために敢えて市場に流す物量を制限したりする戦略もあるようですし。

『数が少ない⇒なかなか入手できない⇒高級品』という方程式はこの世の原理原則として私たちに刷り込まれてしまっているのです。

 

しかし厄介なことに、私たちは希少性そのものについて価値を見出すことが苦手です。

『希少性=価値』ではなく『希少性=付加価値』という見方しかできないのです。

 

だから、自分という人間は自分自身だた1人しか居ないというのに『自分の代わりはいくらでも居る』とか『自分に価値が見出せない』などという誤った思考に囚われてしまいます。

自分がオンリーワンであることをロジック的には理解できても、それを価値感とリンクさせることが出来ないのです。

これは『類似・同等品で既存より手軽なものがあれば代替する』ことを良しとする現在の世の中の価値観が、そのまま自分自身にも適用されてしまっているからです。

それは、機能的な面ばかりを見て『替えがきく物』に囲まれ過ぎてしまい、自分自身にすらそれを当てはめてしまっているということ。

 

このスパイラルから抜け出すには、例え他人に理解されなくても自分自身が『価値ある』と思えるものを身近に置くことです。

そしてそれを大切にすることです。

そういう物は多ければ多いほど良い。

物を大切に、なんて使い古されたありきたりな言葉ですが、その本質は、めぐりめぐって『自分の価値を自分で認める』ことに繋がる大切な行動なのです。