『かなり』

干支に入れてよ猫

【スポンサーリンク】

サイバーテクノロジー

どうも、坂津です。

高齢化が進むにつれ、社会の老人比率が高くなってきています。

一方、世の中は利便性や効率を追い求め、日々新しい技術が生まれ、それが常識となり、また改新され、というサイクルを早めています。

多くの老人が、この流れに取り残されているのが現状です。

しかし年配の方々の中には、しっかりと現代のサイバーテクノロジーを理解し、活用されていらっしゃる方もおられます。

そんな『サイ婆』や『テクノロ爺』に、なれる人となれない人には、どんな違いがあるのでしょうか。

 

私たちは動物として本能的に生命の安心安全を求めます。

また複数の人間が集団となる社会においては安定が求められます。

そしてそこから『昨日と同じ明日』を、半ば本能的に欲してしまうのです。

 

過去からの延長で現在があり、現在の先に未来があるという観念に縛られて生きている私たちは、自身の許容範囲を超える変化を受け入れ難い性質を持っています。

例えるなら、コップには常になみなみと水が満たされている方が安心できるので、下手に水替えをせず同じ水を溜めておきたいと願うようなもの。

新しい水を入れようとすれば、とりあえず満たされた状態からいくらか水を捨て、余裕を持たねばなりません。

それをリスクや手間と捉えて実行しない人が大半である中、きっと『サイ婆』や『テクノロ爺』になれる方々は、いとも容易くコップを傾けるのでしょう。

 

もしくは、コップが満たされていないか。

 

常に新しい水が入る余裕があるほど、コップが大きい。

 

なるほど。

つまり『サイ婆』や『テクノロ爺』になるためには、人間として『器が大きい』もしくは『自分が過去に積み上げたものに執着しない』という性質が必要なようですね。

 

器の大きい人は、人の見ていない時に真価を発揮する。

器の大きい人は、人の見ていない時に真価を発揮する。

  • 作者:千田琢哉
  • 発売日: 2016/12/03
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)