『かなり』

干支に入れてよ猫

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蜘蛛を助けてみたんだが

どうも、坂津です。

雨上がりのアスファルトにキラキラと光る水たまり。

その中心あたりに小さな波紋が見えました。

近付いてみるとオオヒメグモちゃぷちゃぷしていました。

蜘蛛が水遊びをするなど聞いたこともないので、これは水難事故案件だと判断しました。

手近な小枝を拾って蜘蛛に差し伸べると、いそいそとよじ登ってきました。

そのまま小枝ごと蜘蛛を芝生の上に置き、出勤したのです。

運転中、芥川龍之介の『蜘蛛の糸』を思い出しました。

とんでもない荒くれ者のカンダタが死後に地獄行きとなり、生前たった一度だけ『蜘蛛を助ける』という善行を働いたのでお釈迦様にお慈悲をかけられるという話。

 

あれ・・・でも待てよ?

 

確かカンダタは蜘蛛を助けたんじゃなくて、踏み潰すのをやめただけじゃなかったか?

窮地の蜘蛛を救ったとかじゃなく、目の前の蜘蛛を踏み潰そうとしたけど寸前でやめた、それだけだった記憶が。

 

それって助けたことになるの?

 

あからさまなマッチポンプじゃね?

 

とは言えお釈迦様の御目がフシアナであるハズがありませんので、カンダタが評価されたポイントは『蜘蛛を助けた=殺さなかった』という行動的なことではなく『いや、いや、これも小さいながら、命のあるものに違いない。その命を無暗にとると云う事は、いくら何でも可哀そうだ。』という精神面の機微を尊重したということでしょう。

ではなぜそれが評価されたのか。

地獄にはカンダタの他にも罪人が無数に居ます。

その中で彼だけがお釈迦様に蜘蛛の糸を垂らす気を起こさせました。

 

なぜ・・・?

 

察するに、カンダタが目立ったからではないかと。

地獄の罪人たちは普通にそれなりの悪行と善行を適度にこなしてて、悪行の比率が高かったから地獄に堕ちた。

つまり無個性なその他大勢の亡者たち。

しかしカンダタの生前は完全なる悪行三昧で、無理やり見付けた善行と呼べるものが蜘蛛を踏み潰さなかったことだけという特異な存在。

濃い目のグレーがうようよしてる中に真っ黒なのが居たから目立ったのだと。

 

要するに、何かの場面で一縷のワンチャンをゲットするためには、良くも悪くも『目立って』いなければならないのだと。

 

物語の中でカンダタは、残念ながらチャンスをモノにすることができませんでした。

しかしそれはジャッジを誤っただけのことであり『地獄に在りながら極楽のお釈迦様からチャンスをもらう』という偉業を為したことは揺るぎない事実なのです。

そしてそのチャンスを得た要因は『目立った』から。

 

会社に着き、私はこの話をしました。

普通が一番なんて無難な生き方をするよりも、目立ってナンボの個性を活かした生き方をしようと。

そうすれば地獄に堕ちても極楽への切符をゲットできるチャンスが貰えるぞと。

そしたら部下に言われました。

 

「地獄に堕ちなきゃいいじゃないですか」

 

ごもっともでございます。

 

蜘蛛の糸

蜘蛛の糸

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