『かなり』

干支に入れてよ猫

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見えないのは見ようとしてないから

どうも、坂津です。

私たち人間は物や事を認識することで世界を形成します。

『そういう物が在り、そういう事が起き、そういう人が居る』と認識されなければ、それらはその人の世界には存在しないのです。

 

上司「坂津、最近帰るの早くなったよな」

坂津「そりゃ家に幼児が居ますからねぇ」

上司「可愛い子供の顔を見たいってか?」

坂津「そうですけどお風呂入れたりもね」

上司「はぁ?お前が風呂に入れてんの?」

坂津「え、そうですけど、何か変です?」

上司「それってもしかして毎日のこと?」

坂津「出張とかじゃない限りはそうです」

上司「いやー、俺はそんなの出来ないわ」

坂津「さすがに妻一人に押しつけるのは」

上司「だって俺たちは仕事してるじゃん」

坂津「妻も家事と育児をしてくれてます」

上司「だったらその分業で良いじゃん?」

坂津「それじゃ労働量が偏り過ぎですよ」

上司「は?嫁はずっと家に居るんだぞ?」

坂津「それと労働量は関係無いですよね」

上司「家に居る方が楽に決まってるだろ」

坂津「家事も育児も超絶大変ですけどね」

上司「俺もやったけどそれほどじゃない」

坂津「ほう、ちなみに何をやりました?」

上司「子供が赤ん坊の頃ミルクあげたり」

坂津「ではそのミルクをあげることに付随する諸々の作業もご自身でされましたか?まず哺乳瓶を買ったのは?ミルクを買ったのは?お湯を沸かしたのは?調乳したのは?その後に哺乳瓶を洗ったのは?洗うのに使用したブラシを買ったのは?洗剤を買ったのは?洗ったあと消毒したのは?全部ご自分でされましたか?」

上司「いや、そこまではしてないけども」

坂津「飲ませて終わりじゃないですから」

 

どんな仕事にも表に出ない陰の部分があります。

それらの作業に名前は無く、特に注目されることもありませんが、確実に必要であり手間が掛かっており大切な仕事です。

これは企業における仕事のみならず、家庭における家事や育児にも同じことが言えます。

単純に『家事』『育児』と呼んでしまうと途端に細部が見えなくなります。

掃除機を掛けることの陰には、本体に溜まったゴミの処理とか、機種によっては集塵パックの取り換えとか本体の充電とか、様々な作業が隠れています。

食器洗いだってスポンジや洗剤が無ければできませんし、料理も材料や器具が無ければできません。

こういう『認識されていなかった部分』を明確に見える化することが、仕事においても家庭においても最重要課題なのです。

 

やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。

やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。