『かなり』

干支に入れてよ猫

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秋と石

どうも、坂津です。

秋めいてくると、子供の頃に体験した不思議な出来事を思い出します。

近所のお宮さんの鳥居に石を乗せたくて、ひたすら投げていたことがあります。

確か、投げた石が鳥居に乗ったまま落ちてこなければ願が叶うとか何とかいう俗信を鵜呑みにしていたためです。

しかし小学生の投力とコントロールと知恵では、なかなか上手く石を乗せることはできませんでした。

友達にも呆れられるほど延々と石を投げ続けた私。

西の空が徐々に赤みを増していき、足元から伸びる影がどんどん長くなってもまだ、私は石を投げ続けていました。

周囲に友達はもう居ません。

あと1回投げてだめだったら帰ろうと思ったとき、それは起こりました。

 

カッ・・・チッ・・・。

 

私が投げた石は見事に鳥居の上に乗り、落ちてきませんでした。

しかしその代わり、今まで鳥居の上に乗っていた別の石が落ちて来たのです。

つまり私の石が、他の人が乗せた石を弾き飛ばしてしまったことになります。

『他人の石を落としたら不幸になる』という風評も耳にしていた私は青ざめました。

ですがすぐに私は、ある疑問を持ちました。

「不幸になるってのはどっちがだ?石を落した側か、落とされた側か・・・」

普通に考えれば、過失とは言え他人の石を落してしまったんですから、落とした側にペナルティが科せられるのが常識です。

しかし『石が乗る』=『願いが叶う』という方程式を『石が鳥居に乗り続けている限り願が叶った状態が継続する』と解釈することも可能です。

つまり、何らかの理由で石が鳥居から落ちてしまった場合、せっかく叶ったはずの願いが叶う前の状態に戻ってしまうという風に考えられはしまいか。

 

私は手のひらの上の石を見詰めます。

それは、とてもつるつるとした楕円でした。

川や池で水切りをしたくなるような形状と言えば分かりやすいでしょうか。

もしこの石を投げた人が、何か欲しい物があってそれを願っていたとしたら。

今頃はその物が壊れてしまっているかもしれません。

それならばまだマシです。

もしこの石を投げた人が、例えば誰かの病気の快気を願っていたとしたら?

今頃は治ったと思われた病気が再発して大変な事態になっているかもしれません。

 

私はこの石をもう一度、鳥居の上に乗せなければと思いました。

腕も肩も、疲れを通り越して痛みが出ていました。

それでも私は石を投げるのをやめず、一生懸命に鳥居の上を狙いました。

そしてようやく、私が落としてしまったその石を乗せることができました。

私は安堵感と解放感と達成感を存分に満喫し、鳥居に背を向けました。

 

そこで、周囲が真っ暗であることに気が付いたのです。

時間の感覚はよく分かりませんが、考えれば夜になっていてもおかしくないくらいには石を投げ続けていたハズです。

家に帰ると、親にこっぴどく怒られました。

夜の8時を回っていたと思います。

友達の家など心当たりを手当たり次第に探していたそうです。

どこに居たのか聞かれたので、お宮の鳥居に石を乗せようとしていたことを説明しましたが、信じてもらえませんでした。

私の最後の目撃情報はお宮で、それを友達から聞いた私の親は一番に確認に行ったそうです。

しかし私の姿は無かったということでした。

 

いま思い出してみても、なんだか変な感じなのです。

一生懸命に石を投げていたときの記憶では、まだ空はオレンジがかった青色でした。

それは私が最初に鳥居に乗せようとしていた石を投げていた時も、落としてしまった石を投げていた時も、変わらずずっと夕方の景色だったように思います。

そんなに長時間、秋の夕暮れが続くはずもないのに。

そして落としてしまった石を鳥居の上に戻すことが出来てから急に周囲が真っ暗になったのも、おかしな感覚です。

 

空の端から端まで続くいわし雲が、先端から徐々にオレンジに染まっていくのを見るたびに、この時のことが思い出されるのです。

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