『かなり』

干支に入れてよ猫

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なぜ人は個性を認めるようになったのか

どうも、坂津です。

進化論的に言えば、環境に適合できない生物は絶滅し、生き残った者だけが遺伝子を残すことができるのがこの世界の仕組みです。

つまり適応種のみが繁栄していくという自然淘汰の世界。

時代と共にどんどんと淘汰が進み、生存競争を勝ち残った種だけが存在することを許されているのが現状です。

しかし、それはあくまでも現状の環境においての適応種がたまたま残っているだけであり、もしも環境が激変したならば、その種は呆気なく絶滅してもおかしくありません。

このような種としての完全消滅を避けるため、生物はその生態にある程度の幅を持たせたり、突然変異体を生み出したりします。

例えば殺虫剤が効きにくい虫が存在したりするのはこのためですね。

『ある成分に対して他の個体よりも強い』という個性を持った虫だけが生き残り、交配し、子孫を残すわけですから、必然的にその成分に対して強い固体が次々に生まれますよね。

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つまり生物というのは生態に幅を持たせることで、どうなるか予測不可能な未来の環境に適応できる固体を存在させようとしているのです。

要するに『個性の多様性を認めて共存し、いつかくる環境の激変に備える』わけですね。

そしてその固体に、種としての存続を担わせることで絶滅を回避しようとしているのです。

 

ところで、私たち人間の社会はここ最近、ずいぶんと個々の在り方についての許容範囲が広がりましたよね。

個性を尊重し、多様性を認め、どんな人でも平等に生きる権利を持つ社会を最上とし、それを目指しています。

ある意味、どんな生物よりも生態の幅が広い種なのではないでしょうか。

食性ひとつ取っても、人間ほど雑食な種はなかなか居ません。

 

そしてもうひとつ。

昨今の異常気象、自然災害について。

ここ最近よく『観測史上初』『過去に例を見ない規模の』などという言葉を頻繁に耳にします。

地球規模で考えれば人類の歴史などほんの一瞬でしょうから、我々が記録している環境についての情報など極微少に過ぎません。

これから先どのようなことが起こるのか、何が発生するのか、そしてそれが私たちに予測し得る範囲にとどまるかどうかは誰にも分かりません。

 

この上記2点を踏まえて考えるに、そろそろ地球規模の環境動乱が起こるのではないかと推測されます。

私たち人類は知らず知らず、その天変地異に耐えうるだけの個性を備えた固体を許容できる社会を形成すべく、多様性を容認するようになっているのではないでしょうか。

 

考えてみれば人類の歴史は排他の歴史です。

自分と異なる信仰、特徴、思想、能力、外見を持つ他者をいかにして排斥しようかと試行錯誤してきたのが人間です。

それが現在、手のひらを返したように共存共栄を尊ぶようになりました。

もちろん排他的思想が蔓延していた時代の方が長いので、今でもそれが根底から消え去ることはありませんが、しかしそれでもこの過渡期を越えれば、いつしか全人類が本当の意味での多様性を許容する社会を完成させることができるでしょう。

 

問題は、その社会の確立が先か、地球環境の激変が先か、という話しです。

 

まぁもちろんこの妄想も、何千年単位での変遷を想定しています。

私や私の息子、孫が生きているうちのどうのこうのってこたぁ無いと思いますけどね。