『かなり』

干支に入れてよ猫

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「頑張れ」は無責任

どうも、坂津です。

私は人に対してあまり「頑張れ」と言いません。

他に掛ける言葉が見つからず仕方なく言うときはありますが、それは実際に頑張ってほしいから言うのではなく、どちらかというと『耐えろ』に近いニュアンスで言います。

本当に頑張って欲しいときには、もっと具体的な行動内容を示します。

例えば嫌いな食べ物を前にして震えている人に対しての『頑張れ』は、普通に考えれば『頑張って食べろ』という意味になるでしょう。

が、しかし。

言われた側からしてみたら『頑張って食べることを回避しろ』とも受け取れるわけです。

頑張って逃げ出すかも知れませんし、頑張ってその食べ物を遠くに投げるかも知れません。

つまり『頑張る』とは『力の入り具合』であって、その力の方向性や出力方法についての言及にはなっていないということなのです。

車の運転で言えば『頑張れ』は『アクセルを踏め』と同義です。

進むべき方向や目的地を示さなければ、アクセルを踏む意味がありません。

だから『頑張れ』は基本的に無責任な掛け声だと思うのです。

同じ無責任なら、私はむしろ『頑張るな』と声を掛けることを推奨しています。

だって、私が声を掛けようが掛けまいが、その当人が自力で頑張れる人なら頑張るだろうし、そうじゃない人なら勝手に諦めると思うんです。

その結果に私の言葉が影響することはほとんど無く、結末を左右するのは当人のやる気だけなのです。

私は『頑張るな』という言葉には、余分な力を抜いてリラックスし本来のパフォーマンスを発揮させる効果があると思っています。

逆に『頑張れ』が声援としてモチベーションに繋がるケースは稀で、大半の『頑張れ』が余計な気負いやプレッシャーに繋がっているように思えてなりません。

傷口に塩、死人に鞭、泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目というやつです。

 

とは言え、私たちの生活は頑張らないと回らないことがほとんどです。

いつでもどこでも『頑張るな』が通用するほど世間は甘くありません。

自身を奮起させるためにも『頑張る』という言葉を自分で発することもよくあります。

そしてその言葉に自縄自縛され、必要以上に消耗してしまうのです。

 

ですからこんなとき、我が家ではこの言葉を使うようにしています。

『にゃんばる』

これ、良い感じに肩のチカラが抜けて、それでいて前向きになれる魔法の言葉です。

相手に言うときは『にゃんばれ』とか『にゃんばろう』とか。

私も妻もこの『にゃんばる』を使い始めて久しいですが、精神生成的にとても良いと実感しています。

 

皆さんも是非、使ってみてください。

 

頑張らない生き方

頑張らない生き方