どうも、坂津です。
自分が持つ知識の範疇外で働いた因果関係について理解できず、目の前の事象を自分が分かる範囲だけで強引に理解してしまうケースがあります。
文字では伝わりにくいので絵にしてみました。
ある人が大きな岩を押して転がしているとします。
上り坂でとても大変です。
押す手も踏ん張る足も痛くて仕方ありません。
なので、良い手袋と靴を装備しました。
すると今までよりも少し楽に進めるようになりました。
そして、いきなり岩が勝手に進みだしました。
今まで頑張って押していたときより相当早い速度で転がります。
このとき、この人物が重力という要因を知らず、下り坂で岩が転がることを理解できていなかったと仮定しましょう。
『この手袋と靴を装備して押せば岩が勝手に転がるようになる!』
と誤認してしまう可能性があります。
『よく分からないけど押し続けていれば良いことがある!』
という解釈も考えられます。
しかし私たちは下り坂では重力の影響で球状の物体が下方へ転がることを知っています。
なので、この人物の解釈に対して「そりゃねーよ」「んな馬鹿な」と思うのです。
さて、上のケースは極端な例でしたが、実際の生活の中でこのような思い違いは多々あるのです。
縁起が良いとか日ごろの行いが悪いとか、そーゆーのもこれに含まれる気がします。
自分の理解を超えたところに存在する因果によって目の前の事象が引き起こされたと解釈するという点で一致しています。
茶柱が立つことと幸運に恵まれることの間に明確な因果関係はありませんが、人はこれを『縁起が良い』という一連の流れで理解しようとします。
他人にいじわるをしたことと急な腹痛に襲われることにも因果関係はありませんが、人はこれに『バチが当たる』という仕組みを適用しようとします。
ただし『縁起』や『運』などについては、誰にもその因果関係が判明されていないことなので『そうではない』と断言することもできません。
もしかしたら『そうかも知れない』という可能性が残されています。
しかし先の例では明らかに『そうではない』のです。
もしあなたが事例の人物から
「なに?困ってるの?じゃあこの手袋使ってみろよ!」
と言われたら、どう思いますか?
やんわり断るとか誤解を説明するとか苦笑しつつ受け取るとか、反応は人それぞれかも知れませんが、まさかその手袋を装着したら自分が押している岩が勝手に転がり出すと信じる人は居ないでしょう。
しかしこれがもう少し専門的な知識が必要な分野で起こった出来事である場合、ちょっと話がややこしくなります。
専門的な知識を有している人からすれば「そんなこと有り得ない」という現象について、特にその分野に明るくない人が「いやいや絶対これの影響でこの結果になったんだって」と言い張るというケース。
しかも言い張ってる人の方が立場的に上というケース。
良いですか社長、そのシステムを導入しても我が社の売上には何の影響もありません。
他社がそれで上手くいっているのは、そもそも業種も客層も違うからです。
お願いします、聞く耳を持ってください。