『かなり』

干支に入れてよ猫

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猫の読み方

どうも、坂津です。

私の記憶が確かならば『目線』という言葉は誤用の方が広まり、現在では誤用でなくなった言葉の一つだったハズだ。

芝居の世界の業界用語として使用されていたものがいつの間にかテレビなどで普通に使われ出し、それが広まって『立場』や『考え方』という意味に拡大されたように記憶している。

相殺の読みも、そうだ。

本来は『そうさい』であるが、あまりにも『そうさつ』と読む人が多いので、じゃあもうそれでも良いやと、どちらの読みでも正しいことになってしまった。

このように、言語というものは時代とともに移り変わっていく可変のものである。

故に『正しい日本語』という言葉も、その正当性は実に怪しいものである。

正確に表現するならば『〇年当時に正しいとされていた日本語』と表現すべきなのだ。

 

さて、ここで私が常々思っていることを吐き出しておきたい。

それは犬と猫についての『読み方』である。

例えば『秋田犬』を、どう読むか。

『あきたけん』と『あきたいぬ』の両者が存在すると思われる。

しかし正しくは『あきたいぬ』であるとされている。

なぜなら日本語は、熟語を構成する漢字の読みを音読みか訓読みで統一するからだ。

『重箱(じゅうばこ)』や『湯桶(ゆとう)』などの例外もあるが、基本的には音訓を合わせる。

簡単に言えば『秋田』は訓読みで『あきた』となり、音読みでは『シュウデン』となる。

『秋田』部分が訓読みなのだから『犬』も訓読みすべきであり、音読みの『ケン』ではなく『いぬ』が採用されるのだ。

だから『愛犬』は『愛』が音読みなので『犬』も音読みして『アイケン』となる。

 

すなわち『愛猫』は『アイビョウ』となるのだ。

 

しかし、耳馴染みは、無い。

そもそも普通に生活している中で『猫』の音読みが『ビョウ』であるという事実にはなかなか触れる機会が無い。

『犬』と書いて『いぬ』『ケン』、『猫』と書いて『ねこ』は割りとよく耳にするのに、なぜか『ビョウ』だけあまり聞かない。

これは『ビョウ』という音の響き、つまり語感が猫という存在からかけ離れているからだと、私は推測する。

『ビョウ』といえば『病』『秒』『鋲』など、およそ猫とは似ても似つかないものを先に連想するだろう。

『ねこ』の持つ丸く温かくしなやかでフワフワの愛らしい語感とはかけ離れ過ぎている。

 

それから発音したときの座りの良さも問題だ。

最後が『ん』で終わる単語は歯切れがよく、発する側も聞く側も耳に心地よい。

だから『犬』を『ケン』と読むのはすんなりと受け入れられる。

 

まとめると

・言語は変化する

・猫の音読みは浸透していない

・ビョウという語感は猫らしくない

・最後は『ん』で終わりたい

 

以上のことから私は『猫』の音読みに『ニャン』を追加し、それを正しい日本語として定めても良いのではないかと思っている。

『愛猫』は『アイニャン』となる。

うむ、実に素晴らしい。

 

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