どうも、坂津です。
とある休日、私は自宅で息子と二人きりでした。
不慮の事故で靭帯を切ってしまった妻が足の治療を受けるため整骨院へ出掛けたからです。
息子は月齢3カ月半の乳児ではありますが、しかし超絶良い子です。
私の事が大好きで、こちらから笑いかければ飛びきりの笑顔を返してくれる天使な我が子。
ちょっと妻が留守にするくらい、私と息子の絆があれば平気へっちゃらなのです。
妻「じゃあ、なるべく早く帰るからね」
私「たまにはゆっくりしておいでよ?」
妻「治療してもらったらすぐ帰るって」
私「たまの機会だし、寄り道すれば?」
例え半日、いや、1日ずっと妻が居なくても、私と息子ならしっかりやれる。
そう、思っていました。
しかし。
私の考えはスニッカーズより甘かったのです。
妻が出掛けてすぐ、私は息子に哺乳瓶でミルクを飲ませました。
満腹状態であれば息子の機嫌は更に良くなります。
楽勝ムードにご満悦な私は愛する息子との蜜月を愉しもうと決めてかかっていました。
ところがそんな思惑はものの数分で崩れ去ってしまったのです。
何が起きたのか分かりません。
突然、息子が泣き始めたのです。
最初はゲップが出なくて気持ち悪いのかと思い、縦抱きで背中をトントンしながらあやしていました。
まるで礼儀知らずのおっさんのような威勢の良いゲップをした息子でしたが、そのあとも泣き続けます。
もしや縦抱きがダメなのかと思い横抱きに切り替えましたが、それも無駄。
私の腕ではなくクッションの方が良いのかと愚考し、妻の授乳クッションを装備してみましたが何の効果もありません。
お気に入りのパペットで話し掛けてもダメ。
好きな絵本のページを広げて見せてもダメ。
いつもは夢中のおしゃぶりを咥えてもダメ。
最終手段で追加のミルクを飲ませてもダメ。
抱いてもダメ。
置いてもダメ。
撫でてもダメ。
呼んでもダメ。
あまりにも泣くので、どこか怪我でもしてやしまいかと両の手足を確認します。
私自身が幼い時分に脱臼グセがあったものですから、もしやと思ってみたものの異常無し。
その他にも外傷は見当たらず、目の中にも鼻の中にも口の中にも異物は確認できません。
打つ手無し。
万策尽きた私は泣き続ける息子を抱っこしながら意味の無い言葉を呪文のように唱えることしかできませんでした。
「どうしたいんかねぇ?お父さん分からんでごめんねぇ?なんで泣くんかねぇ?よしよし。どうすれば良いんかねぇ?上手にできんくてごめんねぇ?よしよし。困ったねぇ?」
無限に泣き続ける我が子。
泣くと体温が上がるのでぽっかぽかです。
私もどうして良いか分からず緊張と狼狽で汗が滴ります。
抱き方を変えたり照明を点けたり消したり、何か気が紛れることをすると一瞬だけ泣きやむのですが、しかしすぐまた泣き始めます。
もう私が
何度視線を送ったか分からない時計の針は、まるで凍りついたように動きません。
この1年ほど、飛ぶように早く流れていた時間が、ここ今に至っては全く進まないのです。
何十時間にも感じた90分。
玄関からガチャリと音がしました。
息子が泣き叫ぶ声を聞き付けた妻が早足でリビングに入ってきます。
そして「あらあらそんなに泣いちゃって。お母さん帰るの遅くてごめんねぇ?」と声を掛けました。
ピタッと泣きやんだ息子。
「よしよしちょっと待ってねお母さんお手て洗うからねぇ」と言いながら素早く手を洗い私から息子を受け取る妻。
「あぶー」と言いながら妻の胸に顔を埋める息子。
本当なら妻が帰るまでの間に洗濯物を取り込んで洗い物をして私の食事を済ませておくハズでした。
しかし実際は
やるハズだったコトが出来ていないのに加え、哺乳瓶は飲みっ放しで息子をあやすのに使った色々なアイテムは散乱し放題です。
私は自身の過信と無力を痛感しつつ、妻に言いました。
「ごめん、何もできてない」
しかし妻から返って来たのは予想外の言葉でした。
「ん?そんなことないよ?だってこの子を見ててくれたでしょ?私が一人で出掛けられたんだもん、それだけで助かるよ。ありがとう。すごく泣いて大変だったでしょう、ごめんね?」
どうやら私が結婚した相手は女神だったらしい。
女神と結婚して天使を授かっていたなんて、前世の私はどんだけ徳を積んでたのでしょう。
ともあれ、妻の言葉に身も心も救われた私。
そして強く思ったのです。
世の中には育児中の奥さんに向かって、帰宅した旦那さんが「一日中ずっと家に居るのに家事が何もできてないじゃないか」などと叱責するケースがあるそうです。
そんな旦那さんに私が言えることはひとつだけです。
「気付いたんならお前がやれよ」
1日子供の安全を守り無事を通した、それだけで凄いんです偉いんです尊いんです。