『かなり』

干支に入れてよ猫

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赤ちゃん連れで外出するとめっちゃ声を掛けられる

どうも、坂津です。

赤ちゃんを連れて外出すると、特に年配の方から声を掛けられる、という現象が都市伝説では無いことを痛感します。

我が子に掛けられる「可愛いねぇ」という言葉はくすぐったいような気持ちもありますが、素直に嬉しいものです。

だって可愛いからね、ウチの子。

にこにこと柔和な笑みを浮かべて我が子に言葉を掛けるお婆さんに、笑顔で「きゃーう☆」と挨拶する息子。

スーパー外面そとづら良しベビーなんですよね、ウチの子。

 

さて、しかし世の中には『見知らぬ他人が我が子に声を掛けるのが嫌で嫌でたまらない』という人もいらっしゃるようで。

確かに私も、息子の頬に触れるお婆さんを見ながら『ちょっと待ってその手ちゃんと除菌してるんでしょうね!?』という気持ちが湧いて来ないでもありません。

「いま何カ月?あらあら今が一番可愛いときね」という言葉にも『未来永続ずっと“今が一番可愛い”に決まっとるじゃろがい!』と思わないでもありません。

しかし、相手から発せられている言動に『悪意が微塵も無い』ことは理解しています。

そして赤ちゃんの頃から色々な人に声を掛けられるのが心の成長にとって良いことなのだろうとも思っています。

なので私は、私の中に居る『息子に触るなガルル』と吠えるチビ私と対話をするのです。

 

「よう相棒。お前さん、まだそんなこと言ってるのかい?落ち着いてよーく聞きなよ。お前さんのガルルは我が子可愛さから生まれた感情だろ?それは良いことだし、とてもよく分かるぜ。でもな、少しだけ先の事を考えてみろよ。いいか、お前さんがやろうとしてるのは、息子の世界を自分スタイルに縮小してるってことだぞ?お前さんの小さな小さな器に収まるだけの偏った情報で作られたフィルターを通過できる材料でしか、息子は世界を構築できないんだ。

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世界を、色んな大きさや形状のブロックを組んで遊ぶおもちゃだと考えれば良い。手渡されるブロックの色も種類も数量も限定されてしまったら、組み上げられる完成形もまた、限定されてしまうだろ。もちろん、ゼロフィルターで全事象をスルーパスってのは、親の義務も権利も放棄してしまった愚かな行為だ。だから危機や危険、リスク、困難なんかの、目に見えて取り除ける障害物は、上手く補助して除去してやれば良い。だからって『お前さんの好き嫌い』だけで判断した選別基準を適用すると、結局のところ息子が人格や世界観や価値観を組み上げるときのパーツが不足することになるんだぜ?なるべく多くの情報、可能性の中から自分の人生を選び取っていくという未来を、お前さんだって否定はしないだろ?“好き嫌い言わずに食べなさい”って言葉はなにも食事だけに限った話じゃないのさ」

 

「チッ・・・しょうがねぇなガルル・・・今日のところは黙っておいてやるぜ・・・」

 

「恩に着るよ相棒」

 

この間、約1秒ほどなんですけどね。

ガルルな私を説得した私はお婆さんに向かって、息子に負けないくらい笑顔で「ありがとうございます」と返します。

打算計算が積もり積もった汚い大人の笑顔ですけど。