『かなり』

干支に入れてよ猫

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どうも、坂津です。

マンションの住民総会がありました。

管理会社主催で開かれた会には、全戸の76%が出席していました。

事前に書面による委任状提出が16%あったということで、合計92%で会は成立しましたという宣言の後、開会されました。

進行は、管理会社の進行役の人が議案を読み上げ、それに賛成か反対か辞退かを挙手で投票し、過半数を以って議決となる流れでした。

とは言え事前に議案内容は書面で各世帯に配布されており、その内容をイチから説明する手間は省かれています。

簡単な質疑応答の後に挙手、賛成反対それぞれをカウントして議決。

そんな淡々とした進行が行われていました。

早く帰って息子を抱っこしたい私としては、スムーズな進行は願ったり叶ったりです。

このままトントン拍子に進めば30分くらいで終わるんじゃなかろうか。

 

という私の読みは練乳よりも甘いものでした。

 

「では次に、この会の役員を決めたいと思います」

 

会場の空気が一変しました。

ピリリとした緊張感に包まれ、誰もが息を殺して気配を消しているのが分かります。

四十数名居たはずの部屋なのに、管理会社の人以外全員の存在が希薄になったのです。

なんという隠密能力。

なんという気配遮断スキル。

しかしどんなに存在感を消したって居るし視えるし。

 

「どなたか立候補される方は・・・」

 

スン・・・

 

シ~ン・・・

 

全員が一斉にただの屍と化す異様な空気。

早く帰って息子を抱っこしたい私には痛い時間のロスです。

しかしそこはそれ、管理会社も同様のケースを嫌と言うほど経験しているのでしょう。

こんな提案をしてきました。

 

「役員は『理事長』『副理事長』『会計』『監査役』の4名なのですが、この場の皆さまを4班に分けさせて頂き、その班の中から1名をお選び頂けますでしょうか」

 

なるほど確かに合理的な手法です。

四十数名の中から1役ずつ決めていくよりも、4分の1の時間で役員を選出することが可能となりますから。

今までスクール形式、つまり全員が部屋の前方に向かって座っていた状態から一変、4班にグルーピングされた私たちは班ごとに小さな輪を作るように座ります。

 

「では用紙をお配りしますので、各班ごとに今期の役員、そして次年度からの役員さんも全員決めちゃってください」

 

ここで管理会社が更なる小技を行使してきました。

1班が十数名という状態で、誰か一人だけではなく全員が用紙に記名する流れです。

これだと初年度の役員が『なぜ私だけ』というようなモヤモヤを感じるのも減りますし、何より次年度に同じ空気にならずに済むのです。

十数年先までの役員を今ここで決めてしまおうという強硬手段。

ここで私も動きます。

さり気なく管理会社の人から用紙を受け取った私は、自然とこの班の進行役という立ち位置をゲットします。

そして。

 

「じゃあチャチャっと決めちゃいましょうかね。まず初年度の役員、やりたい方っていますか?」

 

居るワケ無い、という確信を持ちつつも形式的に尋ねる私。

案の定みんな目を伏せています。

そこで。

 

「じゃあ誰も居ないようなので、私がやっても良いですか? あ、わたくし坂津と申します」

 

全員が奇異の目で私を見ます。

しかし同時に、安堵の空気も流れます。

誰だって面倒なことはしたくないのです。

私だって面倒なことはしたくありませんが、とにかく早くこの会を済ませて息子を抱っこしたいのです。

その為なら多少の汚い手段だって使うのです。

 

「いやぁ、初年度の役員をやらせてもらえて良かったですよ。ありがとうございます」

 

私は心底嬉しいという風に、みんなに聞こえるように言葉を漏らします。

 

「こういう役員とかって、何かやったり決めたりするときにすぐ『前例が』みたいなことになるじゃないですか。だから最初にやって自分が『前例』になっちゃう方が圧倒的に楽なんですよね~」

 

ここで数名の目つきがサッと変わったのを、私は見逃しません。

なにせ私以下、全員の順番をこれから決めなければいけないのです。

私は早く帰って息子を抱っこしたいのです。

先程の私の言葉に心を揺さぶられたであろう人うち、夫婦で出席されていた人の隣に移動した私は、そっと語り掛けました。

 

「それに、新築マンションって設備が全部新品だから、最初のうちは特に決議しなきゃいけない事案も無いでしょう? それが5年10年経ってからだとやれ改修だ修理だなんて、共有部の補修案件が増えてきたときの役員は本当に大変だと思いますよ」

 

「わ、私2年目やります!」

 

すぐに次年度の役員が立候補してくれました。

周囲の人たちは狐につままれたような表情です。

突然旦那さんが立候補したことを不思議に思った奥さんが理由を尋ねます。

すると旦那さんは小声で説明を始めます。

 

「後になればなるほど決めなきゃいけないことが多くなって大変だから、最初にやっといた方が楽なんだよ」

 

その説明は他の人たち数人の耳にも入りました。

 

「じゃあ次は私が!」

 

「その次は私が!」

 

次々と立候補が行われます。

ここまでくれば、あとは5年以上先の話になります。

普通に生きている人にとって『5年先』という時間軸での話は、その決定の重圧を軽くするのに十分な長さです。

『どうせいつかやらなきゃいけない』という空気は管理会社が作ってくれています。

あとはその順番を決めるだけなのです。

そして4年先までの枠が埋まったいま、残りの方々にとっては正直『別にどこでもいい』という心境でしょう。

思った通り、残りの枠は非常にスムーズに決まりました。

早く帰って息子を抱っこしたい私にとってとても有難い状況です。

 

「決まりました。どうぞ」

 

少し大きめの声で用紙を管理会社の人に提出する私。

これで他の班に『やべぇ早よ決めな』というプレッシャーをかけます。

ほどなく、全出席者の名前が入った用紙が出揃いました。

 

「ご協力ありがとうございます。それでは初年度の役員の方だけこの場に残って頂いて、理事長以下の役決めを行います。他の皆さまはお疲れ様でした」

 

管理会社の人が解散を宣言すると、みんなぞろぞろと退室していきます。

その場には私を含めて4人の住人が残りました。

 

「さて・・・あとはこの中から理事長を決めて頂くのですが・・・」

 

管理会社の人が重々しい口調で言いました。

 

「私どもも何棟ものマンション管理をさせて頂いておりますが、この『理事長決め』が一番大変なんですよね・・・どうします? アミダクジでも作りましょうか?」

 

「どなたもいらっしゃらないなら、私にお任せ頂けますか?」

 

「「「「えっ?」」」」

 

スッと挙手をしながら理事長に立候補した私。

こんなとことで手間取っている場合じゃないんです。

早く帰って息子を抱っこしなくては。

 

「いやぁ、まさか理事長がこんなに早く決まるとは。じゃあ他の役員ですが・・・」

 

残りの役は『副理事長』『会計』『監査役』で、管理会社の説明によれば特に実務的なことはしないとのことでした。

実務が無いなら、という感じで残りの役員もスムーズに決まり、私はようやく帰って息子を抱っこできると喜びました。

糠喜ぬかよろこびでした。

 

「では理事長にはもうしばらく残って頂き、こちらの書類に御署名と御捺印をお願いします」

 

『住民総会理事長印』と書類の束を渡されました。

そして1枚1枚の書類の内容を説明され、ここに署名をここに捺印をと指示されます。

正直、管理会社の人が代行してくれても良さそうな感じですが、この住民総会が法的にひとつの団体として存在することになっている以上、そうもいかないようです。

説明⇒確認⇒署名⇒捺印という手順を踏んで正式に有効となる書類の数々。

理事長就任後、最初の任務は『コエンマになること』でした。

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結局、なんだかんだで2時間も拘束されてしまった私。

早く帰って息子を抱っこしたいと焦り策を弄したものの、結果として策士策に溺れ余計に時間を食ってしまったという残念な結末となってしまいました。

 

さて、転んでもタダでは起きません。

せっかく理事長になったので何か面白いことが起きないかワクワクしている私です。