どうも、坂津です。
私の知り合いに大の犬好きが居ます。
特にトイプードルが好きで、確か3頭ほど飼っていたと思います。
彼はその犬たちを大変可愛がり、大切にしています。
毎日違う服を着せ、月に1度はトリミングを行い、高級フードを与え、毛を染め、写真館でプロに撮影してもらい、専用の部屋を用意しています。
私はペットに服を着せたり毛を染めたりするのを善しとしていませんが、しかしそれは私の個人的な価値観であり、彼の愛情表現に対して口出しすべきでは無いので黙っています。
「可愛いだろ」と言われれば「可愛いね」と返します。
「すごいだろ」と言われれば「すごいね」と返します。
彼に言わせると、新しい服を着せれば犬たちはとても喜ぶし、トリミングで毛がサッパリするとゴキゲンになるし、派手なカラーリングに染め上げれば嬉しがるんだそうです。
さて、そんな彼に激怒されたことがあります。
私が言った何気無い一言が、彼の逆鱗に触れてしまったようなのです。
私「この子たち、そこらの人間よりずっとお洒落だね」
友「近所のドッグランではファッションリーダーだぜ」
私「そのうち毛染めや服では物足りなくなったりして」
友「現に首輪やリードにもアクセサリー付けてるしな」
私「いずれタトゥーとかピアスなんかもするのかい?」
友「はッ!?」
この後、大事な大事なこの子たちの体に傷を付けるようなことをするわけが無いだとか何だとか言ってものすごく怒られました。
確かに人間のファッションとして考えても、抵抗感の境界って存在すると思います。
0.何もしない
1.身に
2.身につけるもの(アクセサリー)
3.毛や爪の整形、着色
4.ピアス
5.タトゥー
たぶん下に行くほどハードルが高いんじゃないでしょうか。
で、友人の犬に対する境界線は3と4の間だったという話です。
しかしそもそも0と1の間に境界を置く私としては、1以降は同列として見てしまいます。
その価値観の違いによって友人は激おこで、私は面食らうことになったのです。
愛玩動物たちは、そもそも人間が可愛がり易いよう、人間に愛され易いように品種改良されて生み出された命です。
野生動物と違い、生命そのものに『人間から愛されるべき存在』という宿命が架せられています。
ですから人間は自分ができる最大限の愛情を愛玩動物に注ぎ、可能な限りの寵愛を授け、全力で溺愛し、愛護し、慈しみます。
その愛の手段・方法に個人差があるだけ。
今は禁忌とされている行為でも、もしかしたら今後『ペットの美容整形』なんてのが当たり前になるかも知れません。
ちょっと鼻を高くしましょうね。
歯並びをキレイにしましょうね。
歯ぐきをピンクにしましょうね。
しっぽを少し短くしましょうね。
これ、誰がどうやって善悪のジャッジをするんでしょうか。
親が子供に好き勝手やったら『子供の人権を無視している』なんて言われます。
それは子供が『やがて成長して人格を形成し、自分の判断で物事を決定できる』から言えることでしょう。
ではペットは?
いつか自分で物事を判断できるようになるんですか?
なりませんよね。
だったら終始その責任は飼い主個人に帰属するものであり、自分のペットに対しての愛情表現の善し悪しは飼い主自身でしか白黒付けられないハズなのです。
もちろん『動物の愛護及び管理に関する法律』の範囲内で。
だから私は犬好きな友人に何も言いません。
怒られたことに対しても「ごめん、そうだよね」としか言いません。
彼の犬は彼の監督下、庇護下で愛護されるべきであり、そこに私の意見、価値観が介入する余地はありません。
だから、さようなら友よ。
犬に対する毛染めとピアスの差が分からない私がそばに居るのは不快でしょう。
だから黙って、さらば友よ。
犬に服を着せるのとタトゥーを入れるのに大差ないと思っている私が憎いでしょう。
君は君の愛を貫くと良い。
君の愛犬に酷いことを言ってしまって悪かったね。
末長くお幸せに。
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