どうも、坂津です。
学生時代は狂ったように毎日毎日飽きもせず麻雀ばっかり打ってました。
賭けごととしてではなく、純粋にゲームとして楽しかったのです。
友人たちと卓を囲み、正気を保てるギリギリまで寝ずに対局し、糸が切れたように一斉に倒れ込んで寝て、数時間後に誰ともなくムクリと起きてまた打ち始める。
麻雀オブザデッドって感じでしたね。
煙草の煙が充満した部屋。
食べ物と言えばベビースターがケースで積まれている部屋。
飲み物と言えばリポDがケースで積まれてる部屋。
煙草とベビースターとリポD以外に何も無い部屋で、ひたすらジャラジャラと牌を混ぜ合わせる音が流れていました。
不健康の極みとも言うべき退廃の象徴みたいな光景。
でもきっと麻雀に対するイメージって、みんなこーゆー感じなんだと思います。
ところがどっこい。
ここ数年、麻雀という言葉の前に定冠詞のごとく附されている熟語をたびたび目にします。
『健康麻雀』
待ってくれ。
麻雀が健康だと?
なんか字面からして破綻してる気がするよ?
『乾いた海』とか『眩しい闇』とか、そんな雰囲気が漂ってるよ?
健康と麻雀は二律背反、決して交わることが無い永遠のパラレルだとばかり思っていました。
それがまさか、協会まで存在していたなんて!
と、ここでようやく気が付きました。
『
どうやらイメージを一新するために、漢字まで変えてしまったようです。
確かに将棋の将が入っていると、少しは健康的な印象になりそうです。
そもそも本場の中国では麻将って書くものですし、間違いではありません。
自分が持てる物の数は決まっていて、何かを捨てて何かを得る。
チャンスは平等に巡ってくるけど、それを活かせるかどうかは自分の判断と決断次第。
自分のことだけ考えてると痛い目に遭うし、人のことばかり見てると自分が上手くいかない。
偶発的に起こる様々な出来事を、どうすれば自分の糧にできるかを考える。
場の空気を読んで、果敢に攻めるか堅固に守るかを決定する。
なんだかマージャンって人生の縮図みたいですよね。
私がこれまで「マージャンやろうぜ」って誘ってきた感覚だと、同世代でマージャンのルールを知ってて遊べる人が、たぶん半分以下じゃないかと思います。
先輩の世代だと半分より少し多いかな?
んで今の若い方たちはルールを知らないしそもそも興味が無いってケースが大半な気がします。
若者の○○離れ、みたいなことは言いたくないので別にそれでも構わないのですが、好きなものが徐々に衰退していくのはちょっと寂しいですね。
だから、なんでもかんでも潔癖さが求められる現代に、マージャンもイメージを変えていかなきゃ生き残れないんでしょうかね。
確かにめっちゃ手も脳も使うし、痴呆になりにくいなんて効果もありそうです。
健康麻将、うん。
良いんじゃないでしょうか。
久々に、お正月にでも家族で打ってみたいなぁ。
牌どこやったっけ、探しとこう。