どうも、坂津です。
突然ですが下の文章を読んでみてください。
『君にしか見えない』
僕の住む町で、ここ最近とても恐ろしいことが起きている。
連続殺人事件だ。
犯人は巧妙な手口で逃げ隠れを続けていて、捕まっていない。
警察もパトロールや検問を増やしているけれど、犯人の方が上手のようだ。
でも、実は僕には“次に襲われる被害者”が分かる。
理由は分からないんだけど、なぜかふっと、人の顔が脳裏をよぎる。
しばらくすると、僕が思い浮かべた人が被害者としてニュースで報じられる。
そんなことが何度かあったので、何か特別な能力を手に入れたようでドキドキした。
犯人逮捕に役立てるかもしれない。
そう思っていたのだけれど、警察はまともに取り合ってくれなかった。
「君にしか見えない妄想に、いちいち付き合っていられないんだよ」
警察の言うことも、もっともだと思う。
僕自身、自分の能力に気付いて、確信を得るまでに幾度かの繰り返しが必要だった。
僕の思い浮かべるビジョンが見えない他人に、これを説明する方が難しいだろう。
それに、僕自身も“全く見ず知らずの人の顔が自然に思い浮かぶだけ”なので、手の打ちようが無かった。
今日もまた、同一犯と思われる殺人事件が報道されている。
やっぱり、僕の脳裏によぎった人の顔だ。
ニュースを見ながら、自分の無力さを痛感する。
顔だけ分かっても、何も出来ることがない。
僕が憂鬱な気分でいると、玄関の呼び鈴が鳴った。
出迎えると、先日僕が相談しに行った警察の人だった。
なんと、あの連続殺人犯の犯行現場が偶然にも映像として捉えることができたらしい。
でも、なぜこんな話を僕に教えてくれるんだろう?
不思議に思っている僕に、警察の人はこう言ったんだ。
「この映像の犯人がね、君にしか見えないんだ」
ひとつの言葉に複数の意味がある状態を『ダブル・ミーニング』と言います。
多くは『語り手と聞き手が同じ言葉を使っているにも関わらず、理解する意味が異なることによって生まれる齟齬』を物語のエッセンスにする技法として扱われます。
上の駄文では『君にしか見えない』という言葉に、2通りの意味があります。
・君を除いて他者には認識することができない
・君以外の何者でも無いように見える
誤解の無いように表現すると上記のように堅苦しくなりますが、どちらも『君にしか見えない』という言葉で表現可能です。
私はこのブログで常々、同音異義語が好きだと言ってきました。
これは自分自身、単なるダジャレ好きの発展版、くらいにしか思っていませんでした。
しかし、実は『ダブル・ミーニング』が好きで、そこから同音異義語に派生したんじゃないかと、つい最近思うようになったのです。
何かしらの物語に触れるとき、私は私を裏切るものに惹かれる傾向があります。
「冒頭のアレはこういう意味だったのか!」
「あのセリフが最終盤で活きてくるのか!」
みたいなやつです。
よく考えれば同音異義語だって立派なダブル・ミーニングですし。
『励ます』と『禿げます』とか。
『恋しくって』と『小石食って』とか。
あと日常会話でよく使うのに誤解されちゃう系のやつとか。
「彼は人の嫌がることをする」
これは『他人が嫌がってやりたがらないことを代わりにやる』という意味と『他人が嫌がるような意地悪をする』という、善人と悪人の両極端に解釈できちゃう言葉です。
本来なら文章とは、誤解の無いように考えて書かれるものです。
意図しない解釈を生みそうな表現を極力避け、語り手が思い描くものをどれだけ正確に聞き手に伝えるかが重要です。
しかし、敢えて誤解と誤認識を仕掛けた文章に触れ、そうとは知らずに物語を読み進め、最終的にどっぷり罠にハマっていたことに気が付くあの快感。
いつかそういう文章が書けるようになりたいなぁ。
きっと、無意識にそういう願望があったから、同音異義語が好きなんだろうなぁ。