どうも、坂津です。
子供の頃、とても不思議に思っていたことがあります。
それは夏休みに親戚みんなでじいちゃんばあちゃん家に集まってやいのやいのするときのことです。
集合する子供たち、つまり私のいとこ連中ですが、総勢で7人でした。
その7人全員が同じ思いを抱いていたと思います。
子供たちはみな、思っていました。
『我々はカルビーが提供するスナック菓子や、明治・森永が提供するチョコレート菓子が食べたいのだ』と。
しかし、目の前の現実は違いました。
どういう
我々キッズが野山で駆け回って遊んでいる間に買い物を済ませる大人たち。
彼らが用意するお菓子はいつもこのラインナップなのです。
それこそ今から30年も昔のことですから、お菓子の種類もそんなにありません。
その少ない選択肢の中から、なぜこのセレクトなのか。
しかし、それを言ってもどうしようもありません。
なにせ夜になればお店は閉まるのです。
コンビニなんてありませんし、スーパーの閉店時間も早い。
私たちは有る物を食べるしかないのです。
更に。
私たち子供が飲みたかったのは、『コカコーラ』や『ファンタ』です。
それなのになぜか大人が用意するのはいつも『サンガリア』なのです。
もしくはガラス瓶に入った『バヤリース』なのです。
ともすれば『ピーチネクター』だったりします。
※このネクター、当時はアルミ缶なんて無かったように思います。細長いスチール缶で、プルタブは分離式でした。
まぁ容器が何かはともかく、私たちが飲みたい液体と、大人が用意する液体の差は明確に存在しました。
もしかして大人たちは子供に美味しいお菓子を与えたくないんじゃないだろうか?
意地悪をしているんじゃないだろうか?
子供ながらに思い悩みました。
どうにか希望のアイテムをゲットしようと、買い物に同行したところで希望したものが買ってもらえることもなく、そもそも『大人もお菓子を飲み食いする』のだし、お金を出すのは大人なのだから、決定権が子供に無いのは明白なのです。
こんな悶々としたものを抱えながら大人になった私は、ある日ふと、思ったのです。
「やっぱお菓子はブルボンだよな」
「オールレーズンめちゃ美味いな」
ハッとしました。
これが経年変化というやつか、と。
味覚は身体に依る部分が大きいですし、経年とともにどんどん変化していく身体に合わせて欲するものが変わるのは当然の話です。
つまり、アレは意地悪では無かった。
大人たちは自分たちが美味しいと思うものを子供たちに与えようとしていたのです。
自分たちが理解できる範疇に存在する美味しいお菓子を提供していたのです。
例えば、私の息子が毎日毎日『うまい棒』ばっかり食べていたとしたら、私はどう思うでしょうか?
せめて『梅の香巻』にしなさいと、言わずにいられるだろうか?
自分が大人になって初めて理解できる大人の気持ち。
子供のままでは決して気付けなかった考え方や感じ方。
そして逆に、子供の頃の価値観や思考回路は知らず知らずに希釈され改変されているのでしょう。
その感覚を忘れずに子供と接していこうと思いました。